敬=恥

おはようございます。

私は人様との出会いには新旧にかかわらず、「敬と恥」を基本の心として出会いをさせていただいています。御仏の教え、心学の教えに共通していることは「私たちの本能であります敬と恥が学問、文化を発展せしめたと教えているからです」。
物事の道理がわかっていなかった幼少時代には無意識裏に「人との出会いを嫌いました」「学ぶことを嫌いました」。この事実は無意識の防衛本能が「人を尊敬できない、勉強が出来ないという恥ずかしい気持ちの表れだったと、今更ながら思っています」。その上「人の悪口を言うというお粗末な少年時代」でした。
「敬と恥」の心に目覚めてから人様に出会いますときに「敬と恥る心を大切にしています」。尊敬の心を大切にしていますと「より偉大な人に出会い感化される、影響を受ける」のです。だからこそ「こうなりたい」と発する心、「向上心が芽生えます」。
孔子先生の説く「賢を見ては斉(ひと)しからんことを」となり、そして「この心と相まって自らを省みるところに生じる恥る心です」。素晴らしい人に出会い、「ああ、何と私はできていないのだろうと恥る」。「卑下するのではありません」間違いませんように。
恥る心が「自己が進歩しよう、向上しようという不断の努力のエネルギーとなります」。生涯不断に己を養ってこそ「真に恥る心となるのです」。
この恥る心を失いますと「勝ち負けの相対的な人間性」「敵対心」「不毛な競争心しか持てなくなるのです」。これではいけません、せっかくの本能である「敬する心、恥る心を失い」、「ざらざらした心に落ち着きのない飢えた狼のような人間性を不断に養うこととなるのです」。知識を「人への攻撃に使う下劣な人間性となる」のです。
「敬する心は理想の世界」「恥じる心は現実的世界」です。この二つのバランスを確かにしてこそ、未来を描くことを豊かにできます。
「敬する心、恥る心を確かにして」お出会いさせていただきますと「出会ったその場で、自分を養う動機付けになります」。これは私たち人間にとって「最も根本的な衝動といってもよいのです」。日本は古来「恥を知る」という文化がありました。これは「人を責める文化ではなく、己を正す文化」です。
新入社員の皆様の研修が一段落し、「にんげん学」を行い、このような思いを心の中で新たに感じております。今日から心華寺では「M&Uスクール」が一泊二日で開校されます。ご参加の皆さんお気を付けて入山ください。今日は少し「敬と恥」を考え週末を豊かに過ごしてはいかがでしょうか。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。 合掌
※どのようなご相談でも承ります。0774-44-5380。メールbonsan01@wao.or.jp。相談することの勇気が未来の扉を開けます。
☆心華寺で参籠修行をしませんか、非日常の空間に身を置き、作務(掃除)、読経、坐禅、写経、五感の対象をすべて聖典に置き、自身との対峙。新たなあなたが見えてきます。
人生は行き先を決めたとしても、道中、どのような出会いがあるかわかりません、どのような出会いがあったとしても、動じない自分を作っておきましょう。
◎町を歩いていて。