神と共にある月

おはようございます。

 台風24号恐かったですね、夜中何度も目覚めました。各地の皆様には被害がなかったことをお祈り致します。寺の庭は楠の枝が落ち散乱しています。建物は明るくなってから点検してみなければ状況がわかりません。皆様の無事をお祈り致します。
 10月、神無月、今月もよろしくお訪ねください。健康は富、健康は宝をしみじみと味わい、皆様が毎日ブログをお訪ねいただくことに感謝の日々であった9月でありました。
 陰暦の月名にはいつも感慨を新たに感謝しています。水無月のときも書きましたが、神無月(かんなづき)の無を「の」と古人は読んでいました。いわゆる「神の月」ということです。ありがたい読みです。古人がご神仏に感謝し、月名とした心に感動を覚えます。
 神の月とした理由は、秋は実りの秋であり、神様が私たちのそばに降りて来られ、神様と一緒に実りの秋を祝うということから神の月としたのです。神様のお陰、神様のお力だということです。そして神様と共にあるという思い、守られているという感謝の思いです。
 いかがです?、神無月を神の月と呼ぶことはとても素晴らしいことだとおもいませんか?、古人の叡智でしょう、子孫に「お陰を忘れないように」「感謝を忘れない人間となるように」「ご神仏を敬うように」と願ったのです。
 このような思いを心に抱くことができる人間は情緒が豊かになります。感謝の思いを深くしますと、懐も深く広く大きく育まれ、豊かな人生を送れるようになります。
 自分の力を誇るような人は、他を入れないという狭量な人間性を往々にして養っているものです。
 逆にお陰様という気持ちを持っている人は、神々、天地自然のお力(徳)のお陰と感謝すると同様に、自分のお手本とできる人びとをも感謝しメンターとして受け入れますので、どんどんと人間的器量が大きくなり、人脈も豊富になり自然と豊かになっていくという因果の道理の通りの人生となっていくのです。
 二宮金次郎が後に、二宮尊徳と名を変えたのも、大地の徳を目の当たりにしたからです。金次郎は叔父から苗をもらい田んぼに植えましたが、余った苗をあぜ道に放っておいたのです。田んぼに植えた苗は育てようと意識して田植えをしたのですが、畦に放っておいたのは、「放った、棄てた」のです。ところが大地は、人の心などに頓着せず、大地におかれた苗を育てたのです。そこで金次郎は「大地の徳に気づいたのです」。そこから「徳を尊ぶ」という「尊徳」と己で名を改めたのです。
 皆さん教えを信じましょう、道理を信じましょう。私はご神仏という守護を信じています。それらのお力、お陰で現実の様々な恩恵がもたらされているからです。何よりも「人間として最大の喜び、創造の喜び」「無から有を生ずる創造の喜び」となるのです。
 「心の喜びは物財を得る以上の喜びなのです」。
 私は「報恩・報徳」という思いを強く生き様の中心に据えて歩んで来ました。人様との実りの結果の遅速、多少の相違はありますが、実りのなかったことは一度もありませんでした。教えの徳、道理の徳の偉大さは、誰彼を問わないのです。古来より「蒔かぬ種は生えぬが蒔いた種は生える」と。
 神と共に、皆様と共にを感謝する10月でありますことを願っています。今月も感謝の祈り、感謝の学びをご一緒下さい。
 皆様の神無月が神と共に在りますことを信じています。豊かな一ヶ月でありますことをお祈り致します。
  
世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
☆「仕事運が良くなる」日々の四つの実践徳目:慈悲の心を持つ(思いやりは勇気)・質素倹約(物心両面のゆとりがなければ心貧しくなる)・謙虚な心(争いを生まない)・一隅を照らす(ポストにベスト)。 合掌
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