疑えば愛が去る

おはようございます。

 愛知一宮、東京講座と師友のみなさんとお別れして爽やかな気持ちで昨日宇治に戻りました。疑心暗鬼という諺があります、物事の道理や慈悲人情を知らず、我利ばかりのときこのような心理状態に陥っていました。人を信じることができないという悲しい心です。
 人間というものは、情理のバランスをとることほど大切なことはありません、昨日も老子の教えを書きましたが。
 「疑いの心があると、なんでもないことでも怖いと思ったり、疑わしく感じること」「疑いの深さからあらぬ妄想に捉われる」というのが疑心暗鬼。疑いは道理ではなく、情理です。己の心持ちです。
 老子は「自分が正しいと思えば思うほど、何が正しいのかわからなくなる」と教えています。いわゆる独善的になり、人を否定してしまうという幼稚で愚かな人間になってしまうのです。
 先日も洪自誠(こうじせい)の菜根譚(さいこんたん)の教えを引きましたが、今日も前集49、「疑い深くならない」を紹介します。。
 「平穏無事であることが幸せであり、心配事が多いほど災難といえよう。
  心配事が多い人ほど平穏無事のありがたみがわかり、平穏無事な日々を願う人だからこそ、考え事が多いことが災いなのだと知るのである。」。
 古人の言葉に「疑えば、愛は去る」「疑えば、人は去る」があります。これは「人を疑う気持ちが及ぼす危険性を示したものです」。
 「人を疑うことは心配事が増えるこということです」。いわゆる自分の心が人に奪われていることです。
 聖典を読誦し、聖賢の書を読み、心学を学ぶのは何故でしょう?ハッキリしております。度量を広く豊かにするためであり、狭量で愚かな自分を知るためでもあり、度量を広く豊かにするためです。己自身の心の身だしなみを整える、鑑(かんが)みるため、鏡であるのです。
 多くの人を拝見し、一般的には、「度量の広い人は軽々しく他人を疑うことはないのです。謗(そし)ることもしないのです」。
 人を疑う気持ちは「不健全な心の働きであります」。「すぐに疑いたくなる人は心の狭い人が多く、些細なことにこだわり、小さな損得にもクヨクヨするのです」。
 人を疑う気持ちは「人間関係の大敵であり、表面的には現れない感情的なほころびです」。 感情と理性、もちろん感情の方が強いのです。だからこそ「己を忘れて他を利する」、慈悲の行動が大切です。情愛を大切にする人は、疑い深くなる愚を知り、支え合い、共にする道を歩むのです。
 今日は第2日曜日ですので心華寺・金港辯財天様「水子供養祭法要」です。午前10時から行います。あなたしか知らない存在です。おまいりご焼香、お話におでかけください。 素晴らしい休日でありますことをお祈り致します。
    
世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
☆「仕事運が良くなる」日々の四つの実践徳目:慈悲の心を持つ(思いやりは勇気)・質素倹約(物心両面のゆとりがなければ心貧しくなる)・謙虚な心(争いを生まない)・一隅を照らす(ポストにベスト)。 合掌
※どのようなことでもご相談下さい。電話:0774-44-5380。メールbonsan01@wao.or.jp 相談する勇気が幸運の扉をノックします。