ゆとり

おはようございます。

今朝は天気予報通り強い雨が降っております。
昨夜の「にんげん学」大阪講座ご参加下さいました皆さんありがとうございました。又来月のご参加をお待ち致しております、是非大切な方をお誘い下さい。

私たちが人生を歩む上において大切なことの一つに「ゆとり・間」を持つことが上げられます。
「利害を超える」ゆとり・間といってもよいでしょう。
日常生活、現実に様々予期せぬ問題が私たちには起きます、
そんなときに「ゆとり・間」を持っている人と持たない人は大きく結果において違いが生まれます。
どのような違いかと言いますと、「修正できるか否か」です。
この事は生涯にわたって大きく差が生じます。

わずかなズレは時間が経過すればするほど大きくなることは皆さんも承知のはずです。
この「僅かな差」心の思いが大事なのです、
この僅かな差、ズレが生じたおりに「ゆとり・間」のある人と、ない人の差が生まれるからです。
「ゆとり・間」の無い人は必ず「行き詰まる」のです、
逆に「ゆとり・間」を持っている人は「修正」が叶い、「方向を転換し」自分の目標とする人生を歩むことが可能となるのです。

ではゆとりや・間はどのようにすれば「身に付くか」ということです。
それはいつも話し書きますように「にんげん学」を常とすることです。
物事を進めるには「原理原則」があります、これは科学ですから「情」はありません、
しかし私たちは「人間」であり、「人と人の間」にて暮らしているから「人間」ともいわれるのです、
故に「間・接点」が大事であるということが理解されるはずです。
物を作るに原理があり、人との関わりにも「原理原則」があるのだということを「肝に銘じる」事が大事なのです。

「にんげん学」には利害を超えた「人としてどうあるべきか」が数多く記されてあるのです。
才能、能力があるのに何故失敗したのか、上に立ったのに何故没落したのか等々の現実の人間生活問題が書かれてあるのです、
これを知る者と知らざる者とでは「心のコントロールの仕方が」違ってくるのです。
利に惑わされず、害に恐れない人としての進退が学べるのです。

今日不幸な事件が多すぎます、何故このような事件が多発するのでしょうか、それはやはり「ゆとりの無さ」からです、人生を大きく過つことのないよう、人ごととは考えず学んでいきましょう。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。  合掌