心の解放感

おはようございます。

今朝も土砂降りです、各地に被害が出て心配です、明後日からの富士登山も心配になります。昨日は雨のせいか午前中は過ごしやすく連日夏日でしたので雨の事を考えなければいいのですが、この強い雨がやはり気になります。

昨日も先祖供養、祈願のことを書きましたが、もう少し書きたいと思います。皆さんは日頃からご先祖への感謝、そしてご自身や大切な方のお祈りをしておられると思いますが、具体的な行動はなされておりますか?如何でしょうか。
行動、形で示すということです。
一日のうちで時間を割いてお仏壇にお供えをし手を合わす行為です。

やはり具体的に行動をしなければ「心を表す」ということにはなりません。対人関係の場合でも同じ事が言えるでしょう、言わなくても行動しなくても分かるということは難しいことです。
時間を割くということは「囚われない」ということでもあります、
何に囚われないかと言いますと、自分の行動の結果です、結果とは成果であって、自分の考えていることに執着していないということで、評価されるか、お金になるか、出世できるか等々に囚われていないかということです。

自分の考え方に囚われていますと「感謝の時間も生み出せず、祈る時間も生み出せない」のです。人のことを考える余裕すらないといっても良いでしょう。
そのような気持ちでいくら人様と接し話をしても「情報」とはならず、チャンスに巡り会っても「逃し」てしまいます、人様の話に身が入りません、
自分に都合の良い「法」や「話」はありません。自分のことにばかり執着しておりますと世界が段々狭くなり結果出口が無くなるほど窮してしまうことになります。

そうならないためにも先ず「感謝」であり、感謝の行動とはご先祖様へ「手を合わす」という日々です、
行動から「正しい思考」が生まれるのです、正しい結果とは「安心の人生」です、拘ることのない、人のことが気にかからない安心です、
是非一日一度目覚めて食事をする前にご先祖様へ手を合わすという時間を作りましょう、何とも言えない「心の解放感」を味わえることでしょう。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。       合掌