自己防衛が引き起こすもの

おはようございます。

昨日も朝から一日強い雨、お勤めを終え8時過ぎ富士登山に出かけました、五合目の集合地に行って山の案内人と話して無理をしないようにと送り出しました。午後4時過ぎ全員集合場所に集まってこれから小雨の中登山という報告がありました。今頃の時間は頂上に着いた頃でご来光を待っているのではないでしょうか、ご来光は午前5時前頃ですので間もなくのはずです、無事ご来光を元気に拝んでくれることを祈っております、困難な登山からきっと多くのことを体感したのではないでしょうか。

このところ又有名企業の不祥事が起きております。有名なればこそ起きてしまう事故、そしてそれを隠そうとする体質、人間の弱点、欠点短所でもあります。
「失敗をしたくない」という人の心の表れ、無意識の行動、有名企業の社員であればあるほど失敗は許されないという空気、
人は「失敗はするもの」です、そこに「にんげん学」の重要さがあります。
だからこそ「事が起きたとき隠さず」に「個の失敗を全員の失敗」という「仁」の「社風・意識」が大事です。
「個の成功も全員の成功」ということです。

競争意識に訴え過ぎの意識構造が原因です。人間の意識構造は難しいものがあります、だからこそ「にんげん学」の必要性がそこに問われるのです。
私たちは肩を並べて学ぶことは出来ますが、「共に立つ」ことは非常に難しいものです。
互いに目標を持ち共に競い合うことは出来たとしても必ず「差が生じる」からです。時に寛容な心で「友を賞すること」ができますか?、如何ですか、皆さんは。
そう悲しいかな「出る杭は打たれる」のです。

結果がハッキリしないうちは仲良くできても、友が頭を抜け出したとき友を「称賛」出来るかどうかが「不祥事」で沢山の被害を出すことを防ぎ無くすのです。
「人を讃えられない」という無意識が人にはあり、その事を知っている私たちは不祥事や問題を起こすと「隠そう」という「自己防衛本能がはたらく」のです。
この事を私たち一人一人が自覚しなければ同じよな被害が起きてしまうのです。

人間の欠点と長所、この事を学ばずしては「正す」ことは不可能に近いのです。なぜならば誰も間違ったことをしようなどとは歩んではいないからです。
人は間違いを起こしてしまうのです、その時に「許す風潮」があれば直ぐに「修正」できるのです。
しかし人の心に褒められるときだけは「自分の力」という「我欲」のあることにも気づかない限りは「失敗は一人に負わせる」事となり「失敗を隠す」こととなるのです。

そのような社会に本来なってはならないのです、だからこそ「人間の心理」を学び気づくことが社会問題を起こさぬ「要」なのです、
皆さん「にんげん学」を共に修めましょう。そうすることで「修己治人(己を修めて人を治める)」を生涯として、人を治めるには先ず自分を修めることだという「自省の念」を忘れることのない社会風土が生まれることとなるのです。
そうすることで人のため社会のために「発明し商品化」したものが、人を破滅させるような物が少なくなるのです。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。       合掌