いずれにしても辛抱

おはようございます。

人間は嫌なことを辛抱することは並大抵なことではありません、長い人生の中で辛抱はやはり大事です。
では好きなことを続けることが出来るかといえばこれまた並大抵のことではありません。いずれにしても「辛抱」は必要であることがこれで分かります。

昨日も書きましたが「形」だけ出来たとしてもそこに「こころ」が無ければ真実「形を継続、維持できない」のです、しかしただの辛抱はどだい無理な話です。
ではどうしたいのかが自身の問題として有るということが分かってきます。

自身は「どう在りたいのか」です。このことがわからなくては「苦楽共の辛抱は出来ない」からです。「嫌なことはイヤで、好きなこともしたいこともない」では迷い苦しむ道しか残っていないからです。
苦しいからイヤだからといってその場逃れでは徒に時間が過ぎ去るだけで駄目になっていくだけです。いずれにしましても続けることが出来ないということは「力を尽くすことなくして認めて欲しいと言っているに過ぎない」ことに気づくべきです。

人生、人に認めて貰う必要性など無いのです、「人を認めることが重要」なのです。そして「自分の出来ることに力をつくす」ことが自分の心の解放感を生み、しらずしらず「辛抱も出来る自分が作られる」こととなるのです。

人を認め受け入れて「手伝う」そこからまた「こころに目覚め」自分が目指すものもはっきりしてくるのです。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。       合掌