学ぶ楽しさ

おはようございます。

昨日は楽しくそして厳かに数珠繰りを皆さんと行いました、お子様も一緒になり将来ご先祖様に感謝できるときに良い想い出として蘇ることでしょう、大人の役割の一つとして子供達に「人を思う心」を植え付けるということがあります、その思いを自然の形の中で行って欲しいと願っております。
仕事が上手くいかなかったり、調子が悪かったり、体調が悪かったりすれば人は不幸だ、運が悪いと考える人があります、不幸だ運が悪いと考える方が当前かも知れません、がしかしです、本来はこの方が幸せと考えるべきなのです。
何事もないような人生ほどつまらないものはないからです。
また辛いとか不幸と考えられるからこそ、ここから抜け出したいと必死で考えることができるのであって、このことが本来の幸せでもありますし、力もわき出てくるのです。
人間は考えるという楽しみ、学ぶという楽しみ工夫するという楽しみが最高の楽しみ喜びだからです。
また創造変化こそ真理でもあり、創造できることが人間の最大の喜びでもあるのです。
創造するということは学ぶという意欲のことでもあります、学ぶと教えられるというのは天地の差があり、学ぶというのは自ら学ぶことであって主体性でもあります。教えられると言うことは相手にイニシアチブを取られていることであって非常に面白くないのです。
よく教えてくれないと不平や不満をいう人がありますが、これは「知りたいという欲求がない人の言葉です」、教えてくれないと感じる人は、知りたいのではなく、ただ単に恥をかきたくない程度なのです、だから普段は学ばず、何かで咎められたとき人を非難する言葉が「教えてくれない」となるのです。これほど人生をつまらなくする考えはないでしょう。
行動の原動力は必要性を感じたときです、必要と感じていなければ行動にはならず、感じないということは自ら生命を放棄したと言っても過言ではないでしょう。創造できない、変化がないということは必要性を感じていないと考えることも大事です。
人生は自分の人生であります、学ぶ楽しさに目覚めましょう。明日は「にんげん学」小倉講座です、土曜日でもありお友達を誘って是非ご参加下さい。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。       合掌