ゆとり

おはようございます。

昨日は残暑で思わず冷房を入れました、辛抱がなくなったようです、テレビで部分月食が映し出されたのを見て幻想的な姿に感動しました、思わず、きれいと声を出してしまいました。
古人は吉凶こもごも驚異を感じたことが肯けます、自然は凄いですね、今日では科学的に「何故そうなるのか」は分かっておりますが、「何故」という不思議さは一向に分かっておりません。
自然の神秘さに驚く心も情緒があって良いのではと私は考えます、余りにも現実的になりすぎてしまいますと「夢」がありませんし、ギスギスした世の中になってしまうばかりです。
科学的なことを知るという事は大事ではありますが、理屈っぽくなるのはいただけません、夢が無くなる。
分からないことを分かろうとするのも人ではありますが、分からないこともあると考え目の前の事に誠実に対するということの方がもっと人間的に大事だと思うのは私一人ではないのではないでしょうか。
「はたらく」という言葉が示すように、人間社会は「端を楽さす(周囲を安心させる)」ことが大事であって、「分かる分からないが大事ではない」のです、勉強の世界でも「ここまで分かって、ここからは分からない」などと言うことは誰にでもあるわけです、皆「五十歩百歩」でしょう。
このように考え方に「ゆとり」を持つことも社会生活では大事ではないかと月食の姿を見て思うところでした。
皆、部分で生きているのです。楽しく明るく過ごしましょう、段々空も高くなる季節です。
食で思い出しましたが、昨夜ご近所で夕食にお呼ばれしました、「スッポン鍋」美味しかったですよ、端から楽をさせていただきました、感謝です、今朝も少し般若湯が残っておるようです、いや、温かい心が残っているのです、人情は嬉しいですね。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。       合掌