緊張と弛緩

おはようございます。

昨日は菊の節句重陽節句でした。奇数は陽の数であり、陽数の極である九が重なることから「重陽」と呼ばれました。陽の極が二つ重なることからたいへんめでたい日とされ、邪気を払い長寿を願って、古来から菊の花をかざったり酒を酌み交わして祝ったりしていたのです。
節句は変な言いようですが「しゃれっ気」があると思いませんか皆さん、昨日も「ゆとり」という事をかきましたが、「しゃれっ気」は「心に余裕をもたらし」ます、「験を担ぐ」ことでもあり、私は好きです。
今日の人は「ダサイ」と考えるかも知れませんが、古人はこれで「洒落気」があったのでしょう、それで色々不景気なことを吹っ飛ばす、余裕でしょう、呵々大笑して忘れる、太っ腹だったのです、そして自然を敬い畏れもし「けじめもつける」。
まぁ寺では重陽節句に限らず菊の花を常に飾り、私自身は毎日節句のように般若湯をいただいて「邪気を払っていると一人勝手に決め込んでいます」が、人間「分相応に暮らしておれば」そうそう波風も立たず、結構ハラハラドキドキすることも多くあり楽しく暮らせるのです。
「変な欲を出すから」おかしくなり悩みとなるのであって、真面目にしていても波瀾万丈で面白味のある人生となるのです。
真面目になればなるほど「問題点が見える」からです。いい加減に手を抜いておればそうはならないかも知れませんが、「ああしよう、こうしよう」と考えていけば結構面白いのです。
さぁきょうはどんな面白いことに遭遇するでしょう、楽しみです。
八幡浜から信者さんが一泊で来られ、昨夜は邪気払いをして楽しみ、研修生は夕方帰りますので身を引き締めてお話しをさせていただき、緊張と弛緩がくり返されます、ありがたいことです。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。       合掌