「まねぶ」こと

おはようございます。

昨日は「にんげん学」京都講座、百回目でした、先日大阪講座が百回目でしたが、これも一重に皆様方が熱心に参加くだされたお力と感謝致します。今後とも共に学んでいきましょう、来月からもよろしくお願い致します。
14日の木曜は愛知一宮(60回目)、15日の金曜は東京(55回目)、26日火曜は九州小倉(92回目)と「にんげん学」は続きます、各地とも重ねてお願い致します。
「子曰く、学びて時にこれを習う、また説(よろ)こばしからずや。朋 遠方より来たるあり、また楽しからずや。人 知らずして慍(いか)らず。君子ならずや。」の論語の冒頭、学而第一に示されたとおりであることを実感しております。
学ぶは「まねぶ」ことであって知識とすることは苦手でも「まねる」ことはできます。知識とすることは大事です、それ以上に実践が大事です、その事一点を信じてこれまで歩んできました。
比叡山伝教大師は「相似(そうじ)」という語を用い私たちにやはり「まねぶ」ことを実践せよと示して下さったことに感謝するばかりです。
学生時代に点数が低いことを悩み、そして苦しみ学校へ行くことそのものが嫌なときもありました。苦しんでその苦しみに解放されないことで又苦しむという堂々巡り、知識としなければこの世は闇だとさえ苦しんでおりました。
そんな中、「学ぶとはまねぶことだ」という「方向性を示す言葉」に出会い今日まで来ました。まねぶこと、実践を日常にしてくり返しくり返ししてきたことで「知識を知識と出来た」ことが又大きな喜びであります。
まねぶ、実践をすることで論理が知識となる喜び、論理が理解できる喜び、知識となる喜び、そして「実践に迷わなく」なった。
知識を容易に出来る人の何倍も何倍も苦しみ傷ついたことは事実です、しかしその苦しみ以上に「まねび知る喜びを知りました」と同時に多くの「朋」との出会いがありました。
一生は長く、しかし短い、でも確かな人生です。
苦しいときは休んでも良いのです、私はそうしました、が止めてはいけません、人と比べず、確実に自身の夢に向かい歩んでいきましょう。
今日も研修生が入ってきます、昨日は八幡浜から来て下さった朋が二日泊まって帰っていきました、時に(常に)学んだ結果が今日があると信じます。今日から又歩み続けます。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。       合掌