国旗・国歌の事

おはようございます。

一昨日東京地裁で「思想の自由」を認めて国旗、国歌斉唱の際に起立を拒否し処分をされた職員の処分取り消しを認めた判決がなされました、東京都側の敗訴です。
この事は非常に大きな問題で様々な世界に大きな反響を与えることでしょう。私たち宗教家にとっても大きな問題です。国家とは何でしょう、国とは、家とはという問題です。
思想の無い人は一人もいないはずです。私たちはこの世に誕生するに当たって「選択はできません、誕生したのです」この事はある意味では選択が出来ないこともあるという一つの「示唆」でもあります。
だから諦めよというのではなく、先ずこの現実があるということを知らねばなりません。
何事の成長にも「場」があり、「場があってこそ成長」があるのです。それぞれが大事にしている世界があるということです。信教の自由もそうでしょう、価値観の相違も同じ事です。だからこそ迎合するのではなく、認めるという「思想も大事」なのではないかということです。
世界様々な所で争いがある、極論すれば「認め合う精神の欠如」から来る争いです。
今回の問題も「是非」ではなく、なぜ「こうでなければならないのか議論と教育」が無かったための「争い」としかいいようがありません。
今日はお彼岸の中日これから心華寺では「彼岸法要」が行われます、家庭で「信教の自由」が叫ばれたとしたらどうなるでしょう、そう「バラバラ」です。
国の問題と家の問題を同次元では語れないことは重々承知です、しかしやはり「家があって国」であろうと思います、逆も同じです、卵と鶏どちらが先かと論じるのではなく、これから先、一国民として不幸な戦争の同じ犠牲者として国旗、国歌に賛成、反対を争うという愚かなことをせずに「教育に必要なものは何か」を論ずることが大事なのではないでしょうか。
国は大きな「権力を持っております」だからこそ聴く耳を持って一日も待てない教育問題に解決を図るべきでしょう。
人は必ず国に属し、家に属します、会社や学校にも同じように属するのです。その時に「選択できる」時には「選択したという責任を持ち」行動すべきなのでしょう。
今日お彼岸の中日、ご先祖様に感謝をして家族仲良くお互いにわがままを言わずに協力して家の繁栄のために尽くしていきましょう。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。     合掌