理念と論理

おはようございます。

お彼岸の中日の昨日は秋晴れ、爽やかな心で皆さんとご先祖様のご回向をしました。愛宕寺、心華寺共に彼岸会のご回向をいただき嬉しく思います、これからもご先祖様を大切に家庭を大切にしましょう、全ての基本のお務めです。今朝も爽やかな秋晴れです。
昨日彼岸法要を終え心華寺では研修もあるのですが誠澄に任せ、新幹線に飛び乗り新横浜へ講演を終え羽田から飛行機乗り博多、そして下関へ夜遅く入りました。
今日は愛宕寺での「月例幸福護摩祈願祭」午前10時からです。少々ハードですがこれくらいの方が緊張感があって集中力が増しスッキリしております。
私たち凡人は目の前のことに一生懸命がいいのです。「下手な考え休むに似たり」自分の出来ること出来ないことは分かっているのですから、欲をかかずに精一杯取り組み、あぁよかった一日過ごせたと感謝する、これ以上の幸せはないでしょう。そしてぐっすり休み又精一杯一日を過ごす。
一日の基本となる為すべき事は誰にでもあるはずです、これを欠かすことなく新たな事に対することが精一杯ということです。
新たなことや急に出来たことで基本の事を疎かにするというのでは展開はあり得ません。基本の上に乗ってこそ展開です、幹を失っては花は咲き続けないのです。この事が分かっているようで分かっていないという人が多く見受けます。
基本を持たない人は一つやっては一つ失うということのくり返しをしているのです、ですからいつまで経っても進化が無く、展開もない。堂々巡り、そして悩んでいる、その悩みも努力しているのにという感情で物事を捉え、論理が伴っていない。
理念(理念とは字が示す如く理に添って考えること)と論理は似て非なるものです。理念は自分の理念であって客観的論理ではないということをしっかり理解しなければなりません。いくら自分の理念が確かなものであっても理論、論理に裏付けられたものでなければならないのです。理論に基づいたものを理念とすることが大事なのです。
そこで自分の基本(理に添った行動)と新たな仕事で生じたズレや違いを調整するのが基本の時であり、基本で培ったことで実践での新たなことに対応することで又よい展開が生まれることとなるのです。
この事を間違ってはならないでしょう。今日も皆さんとご一緒に祈り夢に向かいます。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。     合掌