修行を

おはようございます。

今朝は昨晩から続いた雨です、昨日は爽やかな一日でした、昨夜の「にんげん学」京都講座へご出席の皆さんありがとうございました、来月も是非お友達を誘ってご参加下さい。
明晩は一宮の「にんげん学」です、中部地区の皆さん会場でお会い致しましょう、秋の夜長をご一緒に「訓読」で心を養い豊かに致しましょう、お待ち致しております。
連休は駅も新幹線も混雑でした、連休にはいつも思うのですが皆さんよくお出かけになり感心します。観光もそうですが、寺には個人の方から企業様まで修行、研修とよくお出で頂きます、これは殊更感心致します。
私も少なからず何かしらの疑問を持ったときには解決しよう、分かるようにしようとは心がけてはおります。この疑問や問題点に直面したときに「自分に嘘をつかない」ということが大事です。
疑問や問題をそのままにしておきますとやはり同じような問題や疑問が一層大きくなるからです。雑草も小さな時に抜いておくと大変にならないのと同じです、ですがなかなか出来ない。解決に躊躇しないことが自分の心(性)の問題として大事です。
昨日も書きましたが「性善・性悪」です、このことは両面からの説ですのでどちらも正しいのです。性善説は人間の本性は「善」だから「間違ったことは出来ない」と考え自ずと正して行くもの。性悪説は「人間は過ちを起こす」と捉え、だからこそ正しくしていく事に力を尽くさねばならないのだと、双方の考えが正しいのです。
どちらから考えるのもいいのであって、要は「正す」ことにあるのです。この正すときが問題です、一人で正すのか何かの力を以て正すのかです。これとてもどちらでも出来ることです。
しかし一人で正すのはやはり至難の業です。「依心依所(えしんえしょ)」とは伝教大師様が言った言葉です。「心を大事にするのなら所を選べ」ということです。環境が大事だということです。
私もそう思います、環境だと。そう考えれば「寺での修行」も大事だということです「真理を明らかにするために寺で修行して下さい」ということです。
人は過ちも起こしますし間違いも起こします。時に「修正する勇気を養う」必要があるのです、その事を身につけるための環境です。
人は間違いを起こさないという誤った信念のようなものを持っております。故に間違いを起こしても「現実の自分を認めようとはしない」、この「性(こころ)」が問題なのです、このことが「性善説性悪説」を産み出した本にもなっています。
しかし現実に間違った状況が出来てしまった、さてどうするかです。やはり「過ちを認める」ことでしか解決はしません、修正する勇気を持つことです。そのために「自分の心を知る」必要性が生じるのです。そのためには病気をすれば「病院」に行く、これと同じで悩めば「修行」ということが大事なのです。
心は鍛えることは出来ませんが「気づく」ことは可能です、気づけば勇気がわき出ます「正す勇気、修正する勇気」です。
私は非常に臆病な人間で、人から何か言われれば直ぐ悲観するような気性です、それと同じく「導かれれば勇気が出る」のです、このことは「心も表裏」があることの証です、しかしこの表裏は善悪ではありません、人間は正直であるという証拠でもあり、誰しも間違いを起こそうとして起こすのではないということでもあるのです。
ですから「勇気ある修正」をする人の姿勢に感銘すら覚えるのです。是非皆さんも何か心に引っかかることがありましたら修行をしてみてください。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。     合掌