学校も家も大事

おはようございます。

今朝は昨日とうって変わってきれいな星空で少し肌寒さを感じます。
今、運動会や秋祭りが盛んです、運動会は苦手でしたが祭りは大好きでした、それより思い出すのが稲の刈り入れ、稲刈りが好きだというのではなく新米を取り入れた後に「餅つき」をして配られる餅が大好きだったのです。
近所のお百姓さんが無事の取り入れを感謝して配ってくれるのです。田舎ではこれを「刈り上げ餅」と称していました、お八つなど無かった時代、この味は今でも忘れられません。
秋祭りには「赤飯」が配られそれも楽しみでした。人様から物をいただくことの喜びを知ったのもこの時からかも知れません。
感謝の「お裾分け」ですね、喜びを「共有する」という素晴らしい「風習」です。作物を作るということは大変な苦労がつきものです、そんな中「感謝し出来た物をお裾分けし喜びを分かち合う」、このようなことが日常的でしたので、祭りでも稲刈りでも手伝いをすると言えば学校を休んでも休みになりませんでした、「労働の尊さ、手伝うことの尊さを教えていた」のではないでしょうか。懐かしく良い風習だと今でも思っております。
このような風習が今日でもあればもう少し少年少女の情緒が変わるのではないかとも思うのですが如何でしょう、
机にばかりしがみついているのではなく、「子供でも社会の一員として」の「価値観を持たせる」という意味では素晴らしい教育ではないでしょうか。変な事件が少なくなるとも思うのですが。
教えることも大事ですが、教えたことを体感させることはもっと大事なのです。言葉を行動に移すことくらい大変なことはないからです、
このことは年令が若ければ若いほど大事なのです。「我」や「羞恥心」が目覚めるまえに「体現(たいげん)」することを身につけさせることが真実の「教え育くむ」ことでしょう。
「学校も大事、家も大事」という具合にあってこその教育ではと考えるのです。そのことで「引きこもりや、不登校」も少なくなるのではと考えます。共にあることで「存在感」を持つことができる「にんげん教育」。
手伝いや仕事は勉強のように全てが分からなくとも出来ますし、出来ることもあるのです。身体を通してこそ「考える必要性もわき出る」のです。その方が「向上心」にも繋がるのです。
また実践や体感は「イメージ力が増す」からです、実践も無しに知識だけを求める教育方法よりより効果が出ると考えます。知識を先にしているのに何故「行動力」にならないかといいますと、「教えているのに何故出来ない」という「批判」しかならない「減点法」だからでしょう。
昨今の子供の言い訳は「関係ない」です。そう「生きる、生活に関係ない」のです、「生きるイメージに繋がらない」のです。
教育基本法の改正が叫ばれております、上に立つ人たちにこのようなことを考えていただければと切に思うのですが、さて皆様は如何思いますか。
今夜は「にんげん学」一宮講座です、会場でこの続きをお話ししましょう、中部地区の皆さん率先してご参加下さい。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。     合掌