我を張らない

おはようございます。

毎月書いておりますが月日の経つのは早い、今月もあと一週間、如何でしたか今月は、予定通りに運んだでしょうか?。
秋の収穫もそろそろ終わりに近づき、一年の結果も出てきます。
難しいですねなかなか、でも気落ちしないでください、「やり直せば」いいのです、このやり直すことが大事なのです。我を張ってやり直しをせずに進みますと「大きな傷口となり」どうしようもなくなるからです。
論語「子罕(しかん)篇」にこのような条があります。
「子、四を絶つ。意毋(な)く、必毋く、固毋く、我毋し。」
意は、「孔子は意・必・固・我の四つを棄ててしまったので、従って孔子の行動には、この四つの弊害がなかった。」
詳しく説きますと、「これは門人が孔子の態度を観察して記述したものです。意とは、億と同じで、先方がまだその意志を表明しない前に、こちらから気を廻して先方の考えを推し量ること。
必とは、事を為す場合に、必ずやり通すときめこむこと。固とは、事を守る場合に、この事は断じてしないと頑固にみずから守ること。
又我とは、すべての事柄につき、己れ中心に考え、己れ中心に動くことであります。
要するに、この四者は共に小人の性行において見るところであり、孔子はこの四者を捨てたため、その言行において四者の弊害がなかったというのです。」
人と話し合うことはとても大事なことですが、最後まで人の話を聞かずに独り合点をする人をよく見かけます。
人と話すということは意見を聞いたり、その人を知ることであったり、コミニュケーションをとるためであり、せっかく人と話し合い意思の疎通を図ろうとしているにもかかわらず独り合点をすることは孔子はしなかったということです、
また事を為すときには「何が何でも」ということがなかった、また「これをしないぞと決めたことも」事と場合にによったということ、
また何でもおのれ中心とは考えなかったということであります。
何か思い通りにならなかったからといって「頑固に」押し通そうとすると「間違いを大きく」するのです。
事業を失敗したり、人間関係を損じたりする人にはこのような「気性」の人をよく見かけるのです。
いずれにしても「我」はよろしくない、「やり直す」ことがいかに大切なことかを知って欲しいと願っております。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。     合掌