諦観

おはようございます。

昨日はお昼二時からもう一度湯に浸かり愛宕寺に帰ってきました、一昨日から四度一回約二十分くらいの時間湯に入り、とても身体が楽になったようです。
俵山温泉というのは神経痛やリュウマチに効くということで有名で同じ悩みを持つ信者さんが誘ってくれたのです。
そうなんです、私は現在リュウマチを楽しんでいるのです。本当は三週間くらい滞在して湯治療養をすればかなりいいらしいのですが、現実は許してくれません、今夜は「にんげん学」小倉講座、明日からまた忙しいスケジュールが待っております。
でも本当にいい湯治場でした、静かで同じような方々ばかりですので、そして「直そう」という気持ちの方が来ておられるという雰囲気が良かったように思いました。食事も美味しく特にご飯、お米が美味しかった、また来月行こうと思っております。
今日は気分を一新して祈りそして夕方の「にんげん学」に備えます、今までこのような体験がありませんでしたので、これも神仏のお導きであろうと感謝しております。一日でしたが一週間以上も滞在したような気分、どのような事態が起きても導きはあるものだと、未来に希望を失ってはいけませんね、
お釈迦様は「生老病死」を四苦として避けられないものとして「諦観」せよと諭してくれました。
避けられないというのは四苦は特別なことではなく誰にでもあることで「おろおろするな」ということです。病によって生じる痛みや苦しみは耐え難いものがあります、日々実感しております、
しかしそれで全てが「駄目」になったのではないのです。そこから又「新たな展開が」あるからです、昨日湯治場に誘ってくれた方があるように、新たな発見や喜び、楽しみが出来、温かい思いやりに接し生きる目標が生まれてくるのです。
苦しみは生きる苦しみ、老いの苦しみ、病む苦しみ、死を迎える苦しみしかないことを知って、そこから又新たな喜びが得られるのだということを諦観していきましょう、そのことを私は日々体感しております。
新たな喜びに出会えることが苦しいことより大きなよろこびでもあるのです。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。     合掌