答えは持っている

おはようございます。

昨夕研修生に話し終わってふと空を見上げますと満月のお月様がありました、うっすらと暗くなった中に幻想的な淡い色合い、どう表現してよいのかわからないようなお月様でした。
自然は色々な風情を楽しませてくれます。人生も同じでしょう、時には輝き、時には沈み、時には喜び、時には悲しむ。
一昨日から入っていた一社が帰り、別の会社が午前中に入り、夕方には若い女の子が修行に来ました、若い子が来ると普段の寺と違って華やいでいいものです。当人が心静かに落ち着いて修行してくれることを願うばかりです。
いつも感謝しているのです、どこかで寺を聞いて尋ねてきてくださることを、少しでも社会の人々になにかしらの役に立てることを感謝です。
当てにしてもらえる、私は何も教えたりすることは出来ませんが、共に在ることを願っております。
共に在れば必ず修行に来てくれた人は年齢を問わず「気づき」をしてくれるからです。答えは必ず「自分が心の中に持っています」その答えは今は分からずとも、心静かにして祈れば「自分の心に出会う」のです、私はこのように信じております。
人は人と同じようなことが出来ることも必要ですが、同じようでなければならないという自縄自縛に陥ってはならないでしょう。長い一生の間には人とペースを共に出来ない場合もあるのです、そんなとき自分を責めることをせずに、避難することも大切です。
逃げるのではなく、避難する、この事を社会は許すべきですし、余裕を持つ必要があります。
孟子は「親を代えて教う」といいました、何故でしょうか、それは第三者は冷静に客観的におられるということと、お互いに良い意味での遠慮があり適切なアドヴァイスが出来るからです。
それに対し親は子に優しくするか厳しくするかの両極となる事が往々にしてあり、時にそれに甘え耐えることの出来ないことが生じます、そこで「教育の在り方」に「親を代える」ことの重要性があるのです。
寺に修行に来るのも同じで「環境や教え」を変えることにより、何かしらを感じるようになるのです。
心華寺で今日午前10時から「月例幸福護摩祈願祭」です、どうぞお参り下さい。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。     合掌