助け合う大和の心

おはようございます。

一昨日の強風、竜巻大変なことでした、各地での被害北海道では亡くなられた方も出て心よりお見舞い申し上げます。
自然の驚異、人心の荒廃、如何ともし難い難しい問題です、人心の荒廃だけは少しでも無くしたいものです。
昨日は天気は良かったのですが朝から冷たくストーブをいれました、午後から研修生が笑顔で帰り、出迎えるときの緊張、帰るときの笑顔、どちらもいいものです。
今夜6時半から「にんげん学」一宮講座、是非多くの方に「こころの学び」をして欲しいと願っております。
「ままにならないこともある」ということを子供にもう少し教えるべきですし、大人も一層気づくべきです。
だからこそ「互いの協力で出来るようになる」ということを教え気づかねばなりません。何故もこう簡単に「何事もなる」という「妄想」を人間は描くようになったのでしょうか。
「為せばなる」という考え方は大切ですが、一人の力では為すことは出来ないこともあり、社会は「一人の責任とばかりは云えない」のが社会でもあります。自己責任は大事ですがやはり「思いやりがあってこそ義侠心」が生まれるのです。
何もかもが自己責任だという考え方からは「思いやりは生まれないのが道理」です。
いつの時代から家庭の中でも社会の中でも大人から子供まで「お互いに手伝う、支え合う」という事が出来無くなったのでしょう、この身近なことから「支え合う」ということを「身体で知る、教える」ことが教育の根本、社会人としての根本ではないでしょうか。
誰しも自分で出来ない事があり、人の手を借り貸してこそ「喜びの共有」があるのです。これこそが「和」でありましょう。日本は古来から「大和の国」と称してきました。このことは「助け合う」という意味です。
親は子を導き、子は親を助け「互いに助け合う」この現実生活が大人になり社会人になってから、社会生活の中で「助け合うという無意識の意識」となり「人心の荒廃を防ぐ」大いなる「気風」となり「義侠心」となるのではないでしょうか。
身近な家庭生活の中で「助け合う実践のないまま」に成長しても「身に付いていない事は出来ようもなく」何か困ったことに遭っても「孤立」するしかないであります。時に「サラ金」や「引きこもり」に奔り自己破滅に陥り、一人が不幸になれば多くの不幸な者を産み出すという、悪因悪果の悪循環となるのです。
人は人の手伝いをして「喜ばれる」のです、そのような人の存在は「無くてはならない人と」なります。その喜びを体感した人は世界をどんどんと広げ自ら何を学んだら良いのかという課題も見つけ、夢も希望も自然わき出してくることとなるのです。
自らの「こころ」に気づき目覚めれば何も遮るものはなく、やる気を失うことのない人生となります、是非「にんげん学」をご一緒にしましょう。
知識を豊富にしても「人の心が分からない」というのでは必ずといって良いほど「大きな障害が待っている」こととなります、学んでいきましょう、年令を重ねれば重ねるほど学びは大切です。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。     合掌