邪心無く進む

おはようございます。

昨日はこの冬一番の寒さでした、皆さん体調管理は充分にして下さい、年末に向かい忙しくなる時期です。
今朝は昨日よりは少しましなようですが、安心しませんように。しかし子供は元気です、幼稚園の園児達は寒風の中嬌声を上げて走り回っております、遊ぶことに一生懸命です。そうなんですよね、夢中になれば寒さなんか平気なのです、寒さも感じない、それがいつしかなくなってしまうのは良くありません。
目指すのに状況を考えることは大事ではありますが、躊躇して行動を停止してしまうことが良くないのです。長い人生では躊躇することなく進ということも必要だからです。
「目標に邪気無く進」、結果は自分が目指していることですから迷うことはないはずです、が躊躇する、成功するか失敗するかにぐらつき揺れ動く、心が定まっていない。
それは成功、失敗ということで「傍目、世間の目」に、よく見られたいという「邪心」から来る「迷い」であって、目標に「純粋」でないのです。
目標を決めたら「迷わず、邪心無く進」ことが成功を導き、成功はなくとも後悔はしないのです。
論語、雍也篇に「子曰く、之を知る者は之を好む者に如かず。之を好む者は之を楽しむ者に如かず。」という条がありますが、意は、「孔子言う、それを知っておるというだけの者は、それを愛好する者に及ばず、それを愛好する者は、それを真に楽しむ者に及ばない。」
これは芸事に例を取っていうならば、演芸を知っているという者より、好む者の方が一歩深く、好む人より、それを楽しみ、それに熱中している人の方が更に深いという類であります。ただし孔子としては、恐らく人倫の道に対する知・好・楽の三段階について述べたものでしょう。
如かずとは、それには及ばないという意味で、低いものから一歩高いところに人を進めて行く言い方です。
私たちは学ぶということは何で学ぶのでしょう、それは「こうありたいという夢」でしょう、現実に色々な人を見て夢や希望を持つはずです。きっと楽しいだろうな、いいだろうなという憧れ、イメージからです。
そこから学んでいくはずです、そして「知る」、ただ知っても事はなりませんし、夢や希望を持つと言うことは「実現する楽しみ」でもあります。
論語の条にあるように人生は楽しくイメージしてこそ夢中になり、邪心無く進むことが出来るのです。
人生は自分のための人生です、自分の人生に邪心を持たず、苦しみも生涯も楽しめるように自分を信じることす、子供時代に寒風をものともせずに遊んだのは自分なのです。童心、童に忄をつければ「憧」と読むではありませんか、童心を忘れてはならないのです。
それにしても寒ぅ〜、心が寒いのかも知れませんね・・・・。
明晩は「にんげん学」一宮講座、明後日は東京講座といよいよ本年最後の「にんげん学」です、各講座に是非お集まり下さい。
終わりよければすべてよし、として新年を迎える準備を致しましょう。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。     合掌