錯覚しない

おはようござます。

今朝は雨がシトシトと落ちています、研修生の起床時間前、静かです。
人の目や言葉が気になる事があると思います。欠点が目につく、素晴らしさが目につく、又自分が何かで指摘されアドヴァイスを受ける事を嫌がる、受けいるれ。どちらでしょうか皆さんは。
できれば後者であってほしいですね。
「自分を見ることは出来ずとも、人を見ることは出来る」この事は誰でも知っています。「師事したり、教えを乞う」ということはこの事の証でもあります。
指摘やアドヴァイスを嫌がる人は、ある程度は成長してもそこでストップしてしまい、何れは失敗、挫折をするでしょう。
夢、志を持っておりますから私も実際「師を持ち」今日に至ります。現実に現在でも指導を受けます。
ここ数日、欠点長所等の話題を書いております、夢を持ち、実現のために師事をしますと、指導者は指導する相手の長所を見て育てるのです。
このことを「信じることが出来るかどうか」が自分が「夢を実現できるかどうかのポイント」なのです。師事した人を「信じる」ということです。徹底して愚直に信じることです。
何故かと言いますと、「意識と事実は違う」からです。「知ったことが出来るとは限らない」と云っても良いでしょう。
指導を受けた最初は言葉の意味も分からず何をどうすればよいのかもとまどうはずです、これは誰でも実感したことがあると思います。しかし時間を経て日にちも経ちますと、言葉も理解し、行動も少しは出来るようになります。
そうしますと「出来ると錯覚」が生じるのです、ここで問題が生じるのです。「師の言葉に素直でなくなる」のです。ここで大成するかしないかの分かれ道、ターニングポイントとなるのです。
人は言葉を知ると「出来るような、出来ているような錯覚」に陥るのです。
師の言葉には何時までも素直でなければならないのです。
夢、志を全うするには「終生基本を保ち師事する」ことが大事なのです。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。     合掌