問うこと

おはようございます。

昨日は朝の内は一昨日よりましだと思っていたのですが、お勤めの頃から冷たい風が吹き、初雪がチラチラとした寒い一日でした、空に明るさが多少ありましたので未だ救われたようです。
年末年始の準備の中、ふと一年をふり返りあることを思い返しました。「知る」という事です、「汝、知るを知るか」とは論語の中にある、孔子が弟子の子路に問いかけた有名な語であります。
今年も残すは今日と明日、先日も沢山の縁に出会った感謝、喜びを書きました、私たちは大概のことを知っているつもりでおります、が、です。
万が一にも知らないことがあるかもしれず、万に一つ間違っていることがあるかもしれません、実践の場が一番真実の学びです。
「問う、尋ねる」ということは知ってはいても実行しているかどうかは別な話です。またこのことは大事な礼儀でもあります。
事を行うにしましても必ず先人、先輩があり、聞くことが礼儀でもあるからです。人が縁を通して世界を広げていくと云うことは間違いのないところです。この事は誰でも知っていることです。ですが縁を継続する方と、継続出来ない方がいるのも事実です。
何故でしょう、それは「問わないから」です。
何故問うことが重要で大事なのでしょう。私たちは生まれてから今日に至るまでほとんどのことを「聞き、尋ね、見聞し、知識としてきました」、この事実、現実をしっかりと認識してください。
そこでです、人に尋ねる重要性は、同じ知識を持っていても広い世界を持つようになる人と逆の人がいるのです、何故でしょう、これまたご存じのハズです、それは「知識の生かし方」が違っている、人様への「応対、対応の違い」の結果でもあるのです。
そこで名があり、著名であり、ある階級にあり、また先輩である人の話や、在り方を「聞く、尋ねる」重要性が出来てくるのです。同じ知識でも、道具でも「使い方では結果が大きく違う」ことを「学ぶべき」なのです。
「たった一つの知識」でも「多くの人から学ぶこと」で「世界が広がることを」知るべきなのです。これが「知る」ということなのです。
所が多くの人は学ばない、縁を縁と出来ないのが実情、現実なのです。それは同じ知識だからであり、知っているからでもあるのです。この認識がなければ「知る、尋ねる」ことは出来ず、差が時を経る毎に大きくなっていくのです。
実践の場で活かすことが出来なければ知らないことと同じであり、宝の持ち腐れなのです。聞くことも無しに実践し失敗すれば学びも友に対しての信頼も損ない未来に対しても希望すら持てなくなります。
今年も明日と今日を入れて二日、明晩は午後十一時から心華寺で「年越しソバの接待」を行います、おソバを食べて良い年をご一緒に迎えましょう。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。     合掌