協働

おはようございます。

人というものはおかしなものだと時々思うときがあります、自分が上手くいっているときは他の人のことは気にならず、上手くいっていないときには気になる、勝手というか何と言いますか、やはり勝手なのでしょう。
人の喜びの中に「協働」共に協力して働くということがあります。私はどちらかといいますと「共に協力して働く」ということが好きです。
自分が目立ちたい、自分の手柄にしたいという事もあるかも知れませんが、どちらかというと私は「協働」が好きなのです。
何故好きなのかといいますと、私自身は「これ」といった「得意」なものが無いからです。多少なりとも「手伝うことなら出来る」からです。肝心なことや完璧なことは手伝うことは叶いませんが、何か運んだりといった難しいことでなければできるからです。
事が完璧に出来てから何かをやる、ということも大切だとは思いますが、私には無理です。それほど知識力も創造性も無いからです、ですからよく師匠にも怒られました。兄弟弟子の中では一番叱られたと記憶しております。
しかし若いと云うことは素晴らしいことで、何が素晴らしいかと云いますと「柔軟性」です。この柔軟性のある若いときに人の手伝いをするかしないかで将来に大きな違いとなって現れてくるのです、又現実によく手伝った人がやはり大成しております。
人間性や能力、また世界を広げていくとすれば、それは出来ることから始めることです。大成しない人は身近な出来ることを怠るからであって、何事も小なるものが大となるのです、「千里の道も一歩から」。
大成しない人は大なることは小なるものの積み重ねである「道理」を知らずして、小なるものを馬鹿にして怠るからです。
小さな事しかできない、あんな事しかできないと言って人を馬鹿にしながら己は何もしない口先だけが立派な人をよく見かけます。
これ、といったことが出来ずとも、若い柔軟な時代に好き嫌いを言えない立場の時に物事を選ばずに「協働」すれば、自然と人間性や能力、世界を広げていくものなのです。それを信じて私は今日まで過ごしております。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌