心と物

おはようございます。

昨夜は本年初の「にんげん学」一宮講座でした、沢山の方にご参加いただきありがとうございました。本年もどうぞよろしくお願い致します。
明後日14日は「にんげん学」京都・大阪合同講座、お昼1時からです、率先してご参加下さい、お待ち申し上げます。
皆さんは心と物とどちらが大切と考えておられますか?如何でしょう。この問いかけに対して皆さんはきっと「心」と応えるに違いありません、そう「心」です。
しかしほとんどの人は実は「物」を大事に考えているのです、順序としては「心」が先ず先であることは間違いがありません、その次に「物」です、この順序を間違えてはいけません。
お金や物は大切なものです、今日の世ではお金がなければ暮らせないことも事実です、何もしなくとも消費はしているからです。だからこそ一層「心」を大事にしていかなければ「お金に振り回される」のです。
「働くに追いつく貧乏無し」で、ただ単に夢や希望を持っているからといって「お金や物が」入ってくるかといえばそれはあり得ないことです、働くことです。
思っている=心ではありません、考えている=心でもありません。この勘違いが最も「心を過つ」ものです。物やお金に心を奪われますと「打算」が働き、「損得勘定」で動いてしまうからです。
人は損か得かで動くとすればやはり「得」で動きます、この事は皆さんも百も承知のハズです、ではどうすることが良いのかは見えてくるはずです、そう「人様の得になるように」行動すべきなのです。
ここで「心の存在が大となる」のです、自分の損得を考えると行動が無くなる、ということです。お金が欲しい、物が欲しいと願っていながら手にすることが出来ない人がおりますが、これは損得から考える結果なのです。自分が得をしないのに行動はしないのです、これほど分かり切った現実があるのですから、あとはどうすればいいのかは当然分かるはずです、そう「はた(周囲)らく(楽)だけ・周囲を楽さすだけ」なのです。
働く「端を楽にさせる」ことでお金も物も入るのです。この事実、現実、道理に気づくのが「心」なのです。働く、身を惜しまないことが「物も金も入る」道理なのです。「働くに追いつく貧乏無し」です。
昨日も書きましたが知識や技術、世界を広げたいと考えているのであれば「従う」ことなのです。従えば「人様のお金や力を用いて自分を高める」ことが可能なのです。それも簡単至極にです、それが会社であったりということなのです。
やらされている、などと単純に考えるのではなく、指示されたら自分がやっている、やれるというくらいの「主体性に変える意識」思考が大事なのです。
お金も、物も、地位も持たない自分が従うことによって「全てが与えられる」という事実を知れば損得などという小さな「我の世界」から物事を考えることなどはしなくなるのです。
目先の損得に惑わされず、目先を堂々と歩み、未来を指向して歩むくらいでなければいけません。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌