勘違い

おはようございます。

早朝の庭、木々や屋根を見まわしますと一面白く霜があり寒さを感じます、この厳しさが無ければ何事も育たないのも事実です。お日様が昇り光が当たりますとキラキラと輝きその美しさにも感動します。
自然の厳しさには震えて寒い寒いとは言っても、誰も文句を言わず、不平は言わないことでしょう、当然の如くとして受け止めます。相手が自然だと人間はこうも冷静になり対応ができるものなのです。
この心を対人関係の中に於いても出来るようになることが大事です。
人は如何ともし難い、思い通りにならないものだという、ある意味では自然に対するのと同じように接することが出来れば、考えも工夫も深くなり、対応も違ったものになるのです。
相手が理解してくれるもの、合わせてくれるものと考え行動し対応し、事が成らなければやはり人を恨むこととなります。
もちろん人様を信用することは大事なことです、しかし事が成るならないは信じているということとは別次元の話で、もしも「功利的」に信じているとすればそれは信じているのではなく「打算」というもので、捕らぬ狸の皮算用、自分の利益を計算して付き合っているだけです。そのようなことでは信じる信じないという話は論外なのです。
信じるということは相手そのものを信じることで、自分の利益になるならないではないのです。多くの人はここのところを勘違いしているのではないかと思っております。
出会った人が自分の利益になるならないでお付き合いをされたのでは大変迷惑なことで、勝手に人格を判断をされたのでは大迷惑でしょう。
そんな勘違いをしないように人様とは接したいものです。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌