心を貧しくしない

おはようございます。

今朝は少し冷たさを感じます、今日も良いお天気になりそうです。
人が悩み自己破壊するとすれば原因に「貧しさ」が考えられます、貧しさとは「物心両面の世界」であり、物心両面に豊かになれば「悩みも解消」されるのです。
ものは考えようとはよく言われます、全くその通りです。人が貧しくなるにはそれなりの理由があります。
一つには貧しいから貧しくなる、二つには物や立場が出来それを守ろうとして貧しくなる、大まかに分ければこの二つであります?。この二つとも「心の貧しさ」から来る貧しさです。豊かさとは何でしょう?、「執着しない」ことにあるのかもしれません。
生涯を通じて行うとすれば昨日も書きましたが「どうあるべきか・志」です。この「どうあるべきか」を物や立場に置かないということです。
夢や希望を持つという時はその時点では何もないということで、何もないからこそ大いなる夢を見、志を持つということであり、あるのは情熱・志のみで、この時点では「やるぞ〜」という気持ち、「心が豊かなとき」でもあるのです。
時を経て多少なりとも物や立場が出来たとします、時に今日まで行ってきたことをやり通せばよいのですが、人の上に立ったり、金銭的に余裕が出来たりしますと、守る事柄を間違えてしまうことが往々にしてあるのです。
ある程度物や地位が出来たときに「心の貧しさ」が頭を出してくるのです。「心豊かにあろう」と「志を立てれば」いいのですが、そうでない人も多く、志だと思っていたのが実は物欲だったと気づかない人が人生を破滅させるのです。
人もうらやむような立場に立っている人が、地位を失わないように姑息な保身を計り法を犯したり、またお金を沢山持っているような人が脱税を犯したり、帳簿を誤魔化したりと、吝嗇に走る、それは皆「心の貧しさ」から招いた結果なのです。
人は貧しくて貧しくなってはならず、物を得て吝嗇になることは人間を卑しく貧しくするものであり恥ずべき事なのです。また地位を得て保身を考えるような心の貧しさは、発想の貧しさであり全てを失うことに通じ、お陰様という感謝がありませんから「立場にしがみつき」これまた破壊してしまうのです。
何故にそうなるのかと言いますと、やはり「執着心」としか言いようがありません。言葉を換えれば「感謝がない」ということでもありましょう。感謝がないということは「自分の力だ」という勘違い、錯覚であって、これも「心の貧しさ」からくるものです。
今晩は「にんげん学」一宮講座、生涯学びをすればこそ「自省」でき「心豊かに」活力ある人生とするでしょう、貧しい人生としないためにも会場でお会い致しましょう。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌