歩み続ける

おはようございます。

昨日の「にんげん学」東京講座、参加者の皆さんありがとうございました。来月もよろしくお願い致します。来月は3月15日です、手帳にご記入下さい。
今朝は7時前の新幹線に乗って先ほど帰ってきました。快晴のなか品川駅を過ぎたあたりからきれいな富士山を拝み見ることが出来ました、見え隠れしながら新富士駅を過ぎるまで飽きずに眺め、車窓が額縁のようで雪を抱いた富士山がスッキリとして今までに見たことの無いような感動です。
昨日で東京講座が60回、私の還暦を祝ってくれるようにも思われ嬉しくなりました。各地で「にんげん学」を続けてこられたのも皆様のおかげです。
一つのことに夢中になれる、ありがたいことです。それしかできない不器用であるということでもありますが、器用になりたいとも思ったことはありません。分相応であるということは大事なことだとも思っています。
賢いと自分で考えている人は自分でやっていることで周囲が見えなくなり過ちを犯してしまうということが良くあります。人様に影響を与えるということは大事ではありますが、それを自分の力だと勘違いしてはならないのです。
新聞やマスコミを賑わすような事態を引き起こすのは皆自分が間違っていないという結果です。言葉で人を説得しようとすればするほど行動とかけ離れてしまうことを知らねばなりません。
言葉や文字は人に勇気と希望を与え思いを強くすることは間違いのないところですが、その言葉や文字の示すところに「歩んでいくのだ」という自覚、思いを忘れてはならないのです。
その思いを忘れてしまいますと行動が欠落し、言葉だけの人間となってしまい、自らも人をも危険に陥れてしまいかねないのです。
教えに従って行動し、過てば修正するというこのくり返しこそ、多くの人への真の影響力ではないかと思うのです。
比叡山に登山する10代最後の時に拝んだ富士山を見て、今日まで富士山を素晴らしいと感じている自分を忘れないことだと、今朝の富士山は私に語りかけているようでした。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。       合掌