鈍感力

おはようございます。

今日は24日ですので愛宕寺の「月例幸福護摩祈願祭」です、午前10時からですのでお参り下さい。
最近よく「鈍感力」という言葉を見聞きします。人生を切り開くには以前より「運・鈍・根」だとよく言われます。「運を開こうと」すれば「ゆっくり(鈍)・」とそして「継続る(根気よく)」ということです。
目標に向かって自らを「運ぼう」としておりますか?、そのために日々しっかりと確かに継続しておりますか?。「惰性」では運を掴むことは適いませんし、継続していることにはなりません。ただ何となく仕事が出来るようになっていっているしかないのです。
「このことを、このことで」自分を確立しようという「気構えで」日々目の前のことに対処していかなければ「あっと思うようなひらめき」とはならず、「運が開かれることは」ないのです。
運を開くためのゆっくりと根気が出来る最大の方法の一つが「祈り」なのです。日々の祈りが細胞の隅々まで行き渡っていくことで、あるとき「運を開く出会いきっかけ」があるのです。
祈ることで何事にも誠心誠意対処する自分が無意識となりそのことが「道を切り開く」ことになるのです。疑わずに祈りましょう。
祈ることの功徳効能は「内省」にあります、内省のない人は常に外の世界に気が散り惑わされます、故にじっくりと自分を鍛え上げるということが出来ないのです。祈り、内省のある人は何事に対しても「気づきと工夫と為し」鈍、じっくりと根気よく自分を導いていく結果、運が開かれることとなるのです。
何よりも内省する人はあれもこれもと欲に惑わされませんから気を散らすことなく、自分の人生を確立していくと信じ今日もこれから皆様と共にご一緒にお祈りを致します。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。    合掌