信義

おはようございます。

昨日は皆さんとご一緒にお経をお唱えするという楽しい一日でした。人数の多さはともかく「共にある」ということは嬉しいものです。
18日からあっという間に一週間経ちました。「心に華を咲かそう会10周年」「不滅の法灯ご分灯10周年」そして私の還暦をお祝い頂きました、ご参列下された皆さん改めてありがとうございました。時、人を待たず、諸行無常、過ぎ去っていきます。
このような節目によくよく考えてみますと、お祝いして頂くというありがたい節目、機会があったればこそ過去をふり返るということが出来たようです。
悲しいかな私は記憶力に乏しい人間なのでしょう、ほとんどの事柄を忘れていました、きっと失礼な不義理ばかりしてきたのでしょう、お許しいただきたいと思っております。
物事の反省をするということはしてきたつもりですが、過去をふり返るということは一度もなかったようにも思われます、大いに反省をしております。よくぞこんな人間とお付き合い下された。
その時々に「人と共にあった」ことを忘れてはならないことをしみじみと感じております。私たちは常に未来を指向して歩んでおります、だからこそ「恩義・信義」を忘れてはならないのでありましょう。
日々の生活を送る中で私たちは何一つとして自分だけで生きることは適いません、家や国を守ることに必要である大切な物として孔子は「食・武・信」の三つを掲げました。とりわけ大事なのは「信」であります。
信義ほど大事なものはありません、論語・顔淵篇に「子貢、政を問う。子曰く、食を足らし、兵を足らし、民、之を信ず。子貢曰く、必ず已むことを得ずして去らば、斯の三者に於いて、何をか先にせん。曰く、兵を去らん。子貢曰く、必ず已むことを得ずして去らば、斯の二者に於いて、何をか先にせん。曰く、食を去らん。古より皆な死有り。民、信無くば立たず。」
意は「子貢が政治の要道を質問した。これに対して孔子は、食糧を充足して民の食生活を安定させること、武備を完全にして国家の安寧を期すること、人民はこれを導き教えて信義あらしめる、この三つが政治の要道である、と教えた。これにつき子貢は更に突っ込んだ質問を続けて、どうしてもやむを得ない事情のために、この三つの中どれか一つを捨て去らなければならないとすれば、何を一番初めに捨て去ったらよろしいでしょうか、と尋ねた。孔子は、武備を捨てよう、と答えた。更に子貢が、残りの二つの中、どちらかを捨て去らねばならぬとすれば、何れを先に捨てたらよろしいでしょう、と質問すると、孔子は、食を捨てよう、と答え、更に語を続けて、なるほど食を捨て去れば、民は餓死することにもなろうが、しかし死ということは古来すべての民の免れぬところである。死の大事であるのにもまして、もし民に信義がなくなれば、一瞬一刻も身を立てておることが出来ぬであろう、と教えた。」
まことに私たちは、信義がお互いの間に存在することの安心感の下にのみ、この世の中に存在しえるのであります。もし己が友を信じ得ず、友が己を信じ得ず、更に進んで、親が子を信ぜず、子が親を信ぜず、夫が妻を信ぜず、妻が夫を信じないような社会を想像し、或いは又、政府は民の唯一のたよるべき柱であるが、この政府を信じ得ない状態が続くとするならば、それは武備はいわずもがな、食糧の極めて少ない場合の生活を想像する以上に苦しいことであるに違いないのです。孔子が信義を以て人のよって立つ根本であるとし、政治の要道として民をして信ならしめることを協調したのは、さすがでありましょう。
多くの人に信じて頂いたからこそ今日の私があったことに思いを更に深くして「信義」を大事にしたいと思っております。
明日は「にんげん学」小倉講座です、沢山のお友達を誘ってご参加下さい。会場でお待ち致しております。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。   合掌