どっちつかずにならない

おはようございます。

これから宇治へ帰ります、昨夜「にんげん学」小倉講座へご出席の皆さんありがとうございました。来月もお会い致しましょう、是非お友達を誘ってご参加下さい、誘うという勇気も時には出して欲しいと願っております。
皆さんはそれぞれ毎日忙しいことと思います。忙しいという字は「心を亡くす」と書きますが、心を亡くすということは「自分を亡くす」ということでもあります。
人生を歩む上において「どっちつかずと見栄」が一番良くありません。「どっちつかず」とは、自分のことをしたいのに周囲のことを理由にして自分のことをしない、また自分のことをしていないにもかかわらず、自分のことがあるからといって仕事もしっかりとしない、という状態のことで、結局それが「見栄」ともなります。
「生き様をハッキリしない」ことが悔やむ人生とし、悩み多い人生とし自分を亡くし失うからです。又人を非難の目でしか見られない自分を作ると云っても良いでしょう。
人は何故忙しくしてしまうかを考えますとやはり「見栄」が考えられます。「出来ない」とはいえない自分がいるのです。そして自分を苦しめる、自分に自分が嘘をついてしまう、人生は「希望や夢を持つことは悪いことではなく」、積極的に持つべきでしょう。
しかしここで間違ってならないことは「自分を見るとき何でも出来るという希望的観測をしない、又相手に求めない」ということが大事なのです。「これだけやっているのだから、がんばっているのだから」といって努力をしない人をよく見受けます。気持ちだけが勝っている、その気持ちは分かりますが、出来ない自分を認めなければ何をプラスして何をマイナスしなければならないのかが見えてきません。
毎日忙しくしていながら不満や不平を持つように至るのは、この「やっているのに」という甘えがあるからなのです。結果それは「どっちつかず」自分も大事にせず人様も大事にしないハッキリしない人生を歩んでいることに気づくべきなのです。
「このために・このことを」といった具合に、自分を磨くことを大事にしていきますと、自分にも人様に嘘をつくと言うことがなく、自分を亡くし見失うということも少なくなり、どっちつかずにならない、自然自分が生かされると考え日々を過ごしましょう。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌