忘れてはいけないことも

おはようございます。

昨日は朝のうちは雨でしたがお勤めが終わった頃には上がっておりました。第一日曜日は「月例幸福護摩祈願祭」ですが、第二日曜の昨日は「親子座禅会」が9時から10時からは「水子供養祭」という日でした。
お祈りも坐禅も「無心」になるということでは同じです、方法が違うというだけです、どちらも素晴らしい「法」ですので日常として下さい。
水子供養は不幸にして誕生できなかった魂を慰める法要です、とても大切なことです。悲しみを忘れるということも大事ですが、「忘れてはならない、忘れてはいけない」悲しみもあります。
毎日読経しております「経文」で最初に「懺悔文(さんげもん)」という文を唱えます、犯した罪を悔い改めますという意味の文です。私たちは日々の生活で様々なことを体験し、経験しております。
そのような中で無意識の中に罪を犯すということをしているのだという自覚を持ってこの文を唱えるのです、「積極的反省」と言えるかも知れません。無意識で人を傷つける、過ちを犯すということは自分にも人様にも大きなダメージを与えるのです。
自分にも人様にも大切な人生です、その大切な人生を過たすことなく、傷つけることの無いように日々意識の上に置いて行動していくようにしているのです。そうしますと積極的に謙虚になり、明快な行動が出来るようになるのです。
間違えたら治せばいいという開き直りではなく、謙虚とは人様の意見を聞き入れ、自分だけがよいようにというのではなく、人様のことを積極的に考えられるようになるのです。
人様との価値観の違い、考え方の相違は当然です、この事をしっかりと自覚して対人関係に生かしているかといえば、難しいのではないでしょうか、ですから日頃から「反省」という「習慣」づけが重要となるのです。
人様からの意見や、批判を快く受け止めるということが素直に出来れば宜しいのですが、これとても難しいことです。意見や批判を受けますと間違いや、過ちに気づいていても「逆に反発」をしてしまうということが多くあるのではないでしょうか。
このようなことでは大切な人生を自ら傷つけてしまうこととなるのです。ですから「反省することを」常とするために私たちは日々「文を唱えることで」気づきとしているのです。せっかくの愛が悲劇にならないためにも、せっかくの思いやりが仇にならないためにも「懺悔」は大事なのです。
その反省もなく、快楽に溺れ「水子を再び」するようでは不幸を自ら招くこととなるのです。
愛は「安心、安らぎ」でなければ「愛とは言わない」のです。そのためにも「忘れてはならない、忘れてはいけない」こともあるのです。
反省をしないままに新しく愛する人と巡り会い、今度は失敗しないぞとの「思いこみが強くなり、我となり」そのことが愛ではなく、我欲であることに気づかず、又傷つき傷つく事とならにようにしなければならないのです。
雨上がりの日曜、このようなことを思い自らを反省しておりました。今夜は「にんげん学」京都講座です、ご一緒に学びましょう、会場でお会いすることを楽しみに致しております。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌