自信

おはようございます。

今朝も少し冷たいようです、空にはうすい雲がかかった中、幻想的な三日月さんが美しい光を放っております。今日も穏やかな一日であればと祈っております。
皆さんは「自信」を持つということをどのように考えていますか?、人様にそれとも自身にでしょうか?、如何でしょう。
私は自身に「自信」を持っています。人様に対しては到底自信がありません、しかし自分に対してであればたっぷりと自信を持っています。しかし私の自信というものは人様に対して、人様と比較して「上手だから、博学であるから」というものではありません。
私の自信は「出来ることで生きよう」という「この一点」で、自分を進化させていく方向から来ているのです。上手下手はきりがありませんし、知識の多少もきりがありません、また進化、習得の遅い早いもこれまたきりのないことです。人様に対して自信を持てなければ自分の存在がないとすればノイローゼに陥ることでしょう。
私は恥ずかしいということをしっかりと知っております、しかしその恥ずかしさも「人様と比較して云々」というのではありません。もちろん人様が出来ているにもかかわらず自分が出来ないのは恥ずかしいという思いは人様の何倍も大きいものはあります、が、それ以上に「自分でやりたいことをしない」ということの方が恥ずかしいことと考えるのです。
昨日は一ヶ月一度の検診日、血液検査、尿検査、診察と身体のチェックをしてもらいました。前回より良くなっているところもあれば、今ひとつスッキリしないところも、そして悪くなっているところもあります。
身体に限らず全てに万全という状態はほとんどあり得ないのではないでしょうか。万全ではなくとも自信を持って事に当たるのが私の姿勢でもあります。あれこれと不調を理由に「行動の前から失敗の予防線を張らない」、どんな状態でも自信を持って潔く立ち向かう、そこから出た結果の良し悪しでまた「やり直しか、訂正か、磨きをかけるか」をしっかりすることを自信としているのです。
何事にでも評価を得たいなどとは考えたことはありませんし(多少はあるかな〜)、評価を得るために人生を確立していこうとしているわけでもないからです。
でもやはり失敗すれば悲しいですし、口惜しさも人一倍あるのも事実です。しかしこの事を人様に嘆いていても事は一向に改善されません。
私はとても臆病で気の小さい人間ですから、「これを」といったことをやっていこうとしているのです。
しかし注射は何時やっても嫌なものです、嫌なものは「来るのだ」と言うことを師匠に教えられたことが蘇ってきました。あぁ〜またいやな事を思い出してしまいました。めげずにコツコツと今日も志を胸に秘め自信を持って明るく過ごします、さぁ先ずお勤めです。
明日は「にんげん学」東京講座です、東京地区の皆さん楽しみに出かけますので待っていて下さい。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌