先祖供養の大事

こんにちは。

今日は下関にいるのですが、久しぶりにゆっくりとした気分になったせいか思考の方もゆっくりしているようで、書き込みがこのような時間になりました。何度も覗いてくださったのではないでしょうか。
明日から春のお彼岸です、毎日のご先祖様への感謝は言うまでもありませんが、お彼岸や、お盆、祥月命日、年忌等はやはり「この時」しかありませんので大切に供養すべきです。
私たちがこの世に誕生できたということは当然のことですが、ご先祖様が在ってのことで、そして今日楽しい人生を過ごせるのです。何とありがたいことでしょう。
ご先祖様へ感謝をするということは、ご存じの如く見えない人、見ることの出来ない人、言葉を発しない、何も言わない相手に対して「いますが如く仕える」ということです。全く自分の「心の世界」であると言えるのです、だからこそ大切なのです。
言葉を換えれば「思い」です、思いは「思いやり」とならなければ「我」としかならず、自分の思いの達成しか考えないのです。しかし思いが「思いやり」とならない人は言葉を発しない、見えないご先祖様に供養するはずもないのかもしれません。
私の見る限りに於いてはご先祖を大切にする人の多くの方が「繁栄もしくは人生を確立」しております。理由を考えますと「言葉を発しない、見ることの出来ないご先祖に」感謝の意を表すには「どうすれば、どうすればという強い思いやり」で供養を日々行い、又お彼岸等にはしっかりとやはり供養をしておられるのです。
神仏を「上位者」として「尊敬」し、言葉のない上位者を尊敬するという普段の行動が習慣性となって、実生活社会においては「気配り、心配り」となり、結果「豊かな発想」ともなり、「豊かなイメージ力」ともなるのです。
明日は愛宕寺で午前10時から「春季彼岸法要」があります、是非ご先祖様のお供養をしてください。心華寺の方では21日です、こちらにも是非お参り下さいますよう。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌