苦悩の中から

おはようございます。

今朝の下関は雨ですがそう寒さは感じません、一雨一雨暖かくなっていくのでしょう。
昨日新幹線の車窓から眺める景色は春霞がかかったようで、ほんわかとした気持ちで乗っておりました。
今日は愛宕寺の「月例幸福護摩祈願祭」午前10時からです、是非お参り下さい。祈りはいいものです本当の自分になれます、昨日大学合格の報告に来てくれた若者の事を少し書きましたがその時の話を書きます。
若者にこんなお話をしました。「浪人中苦しかっただろう、何で自分だけがという疑問を感じたのでは、こんな世の中なんて無くなればと思ったのでは、人の言葉を受け入れられなかったろう、立場が無いように感じただろう、心が狭くなることを感じただろう」等々。
また「今は爽やかでこの世の春を感じているのでは、周囲の人皆輝いて見えるのでは、何もしないのに楽しいのでは、何でも受け入れられるのでは」等々。
そして状況や置かれた環境、条件、心の在りようで「心が狭くなったり、広く豊かになったり」を「存分に味わったのでは」とも。
人の心というものはかくの如く不安定なものです、「心、ころころ」です、だから「こころ」ともいうのだとは古人の言葉です。それくらい心の安定の大事は事が起こってみなければ分かりません。「良い経験、体験をしましたね」ともお話しました。
「自分が上手くいっているときは人に優しくなれて、上手くいっていないときには優しくなれない、自分のことを理解してくれない」という気持ちを「存分に味わったのでは」とも、
この経験を経験とするのではなく、しっかりと「体得しておかなければね」とも話しました。かほどに自分の心は「様々な要因」で「起伏」するのです。
だからこそ喜びごとや苦難に遭ったとき「己を見失うことの無いように」祈ることを通して「心を養う」必要性があるのです。
心を養う以上に自分の心を知ることは「真実の安らぎ」が得られるのです。心の安心を体得してこそ真の人生が確立されるのです。
苦しかったけれど良い体験を若者はしたのです、帰るときの表情がとてもきれいで輝いておりました。人生は人を人として育てるために時に苦難を与えます、試練のない人生はないのです。試験という世界が無くなればいいと矛盾を感じながらも突き進んだ彼の目が輝いていました。
人生は本当は毎日が試練なのです。日を限られそれに対した時普段の姿勢が問われ、結果で能力の有る無しを決めてはいけないことを彼は知ったのではないでしょうか、彼のこれからの人生が楽しみです。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌