恥を間違えない

おはようございます。

心華寺の桜も新人の皆様を迎えたせいかチラホラと咲き始めました。ウグイスの声も未だ慣れないながらもホーホケと可愛いらしい声で鳴いております。
人生は毎日が岐路です(そう深刻に考える必要はありませんが)、この位に考えて対人関係や仕事に対することは大切だと考えます。
人はどういう訳か自然の生命維持装置(自己防衛本能)が働くのだと思われますが、上手くいっているときはよくお話に来てくれたりしますが、逆のケース、上手くいかなくなったときはなかなか話に来てくれません。
岐路、スランプは必ず来るものです、時に話をしに来て欲しいと願っております。そのためにもやはり上手くいっているときに話に来るという事をして欲しいと願っております。私は失敗やスランプは「恥ずべきではないと考えております」、何故かと申しますと「仮定・目標」を立てて進むわけですから結果は「成功か失敗かいずれか」だからです。
この事を明快にしておきませんと世界を狭く生きるということとなるからです。また「恥、羞恥心、廉恥心」とは、「やり直す」ことで、これが本来の「恥を知ること」です。
この「羞恥心」の認識を誤っておりますと、良い結果でなかった行動をただ単純に恥と考えてしまい、客観的、論理的な分析もせずに、感情論になってしまい、何故という疑問だけで冷静さを失って「人の前に出るのが恥ずかしい」という「感情論で」せっかくの「能力、技術、信頼(今日までの)」を貶めてしまいかねないのです。
そうしないためにも自己防衛本能という感情をしっかりと明らかに認識して、本当の自己防衛ができるようにしなければならないのです。
これから色々な花が順番に咲き始めます、人生も自分だけが花を咲かせこの世の春を謳歌するなどということはあり得ないのであって、次々と花(人様も)は咲くのです、他の花をよくよく観賞して見習うことは見習い、質すことは質すといった具合にあることが必要なのです。
そして自分の人生に精進すべきなのです。頑固、傲慢にならないためにも。
若者達のはつらつとした姿を見てせめて精神だけは溌剌としようと、出来上がった顔をしている自分に恥じたところでした。(若さとはいいものだなぁ〜、年とったかなぁ〜?、いや、まだまだ若者には負けん、年寄りの冷や水と言われそうですね?)

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌