気・メッセージを発する

おはようございます。

昨日の夕方西の空にまん丸のきれいな太陽が見えておりました、朝の太陽も素晴らしい感動を覚えますが、沈むときも何とも言えない美しさがあります。
桜の花が少しずつ増えていくのがとても嬉しい気持ちになります、自分の心も豊かになるようなそんな気持ちです。何も無い自分なのにあたかも自分の花が咲くようにも思える楽しさ。
第二陣の研修生が昨日の午前に入ってきました、今日も午前中に第三陣が入ってきます、一昨日に入った第一陣の研修生は夕方に帰ります、新しく入ってきた研修生と帰る研修生とは表情が全く違います、その違いも又楽しく見ております。気持ちの違いとは大きいものです。
私たちは常に「気・エネルギーを発して」おります。言葉を換えれば「メッセージを出している」とも言えます。これは意識するしないにかかわらず発しているという事を知らねばなりません。
今当に選抜高校野球が熱戦を繰り広げております。彼らはこれまでもこれからもボールをコントロールするために練習、鍛錬を続けることでしょう。このボールを投げることも同じで、相手があれば相手をめがけて投げるという確かなコントロール、意識が大事です。
人生は「確か」でありながら「不確実」でもあり誰が受け止めてくれるかも分かりません。だからといって「気を発しない、意識をしない」ということではならないのです。
誰が受け止めてくれるか分からないからこそ「受け止めてくれることを信じて」確かな気、メッセージを発することが大切なのです。
気・メッセージを発し続けることによって「受信してくれる人が現れる」のです。誰か分からないからといって「漫然と気を散じて」過ごしてはならないのです。なぜならば「気を散らせた気・メッセージを発して」いるからです。
誰が受け止めてくれるか分からないといって「ダラダラ」としていたのでは生涯に於いて受け止めてくれるチャンスには遭わないのです。
いずれにしても「気・メッセージは発しているのだ」ということを忘れてはならないのです。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌