作務(さむ)

おはようございます。

今朝はまん丸なお月様が空に煌々と輝きその輝きに白く浮き上がる桜の花が幻想的です。素足の研修生はこの寒さの中から得がたいものを得ることでしょう。
昨日は花冷えで寒い一日でしたが、沢山の若者達の熱気でその寒さもどこかいったようにも感じるほどでした。やはり自然の厳しさは人を鍛えるためには大切なものだとも実感しており百万遍の説教よりも説得力があります。
お寺では一年中、庭の落ち葉を掃くという仕事(作務(さむ))があります、庭ばかりではなく毎日の掃除(作務)は大切な修行の基本でもあります。
今の時季は楠の葉の落葉が盛んです、これが終われば桜の花びらです。お経を唱える以外は全て作務といいます。作務とは仕事を作ることです、「ですから掃いたら終わり」ということにはなりません、永遠なのです。
そう「人生これで終わり」ということはないのです。
あそこまで、ここまでやったら終わりと考えますと、後ろをふり返ったとき又新に葉っぱが落ちていたときどんな気持ちになるでしょう?おわかりですね、そう怒りの感情がわき出てくるのです。
「いま掃いたばかりなのに」という感情です。
せっかく気持ちよくきれいにしたにもかかわらず自分の気持ち、心を波立たせ汚すことは良くありません。
掃除のことばかりではなく、人生全般、仕事全般に於いてこの事は言えるでしょう。立派に仕事をやりこなす能力を持ちながら「くり返されることで嫌気をさす」というような「愚かな感情に苛まれてはならない」のです。「いくらやっても同じや」と怠惰な気持ちとなるようであってはなりません。
知識を得ることや、技術を体得することを「知ること、体得すること」に目標としますと、このような誤った考え方をしてしまうのです。「知って終わり、体得して終わり」ではないのです。「知って体得することをくり返し、大きな展開をすることこそ」人生なのです。
又体得したことを「広げ進化させていく」ことこそが人としての「使命」でもあるのです。
毎日同じ事を基本に添ってくり返しますと「上手くなり、時間も短縮」されます。ここで新たな「時間的余裕」が生まれます、時に上手くなったこと、時間を短縮できたことを「活かす」ようにするか、「怠ける」こととするかはその人の「自覚と人生に対する姿勢」です。
作務(務めを作る)を行うということは「きれいにすることと新たな仕事を作る」ことに「大きな要点」があります。あぁ終わったとして時間に余裕が出来た時間を怠惰に過ごすか、それとも「新たな仕事を探すか」では一年を過ごしますと「大きな差」となってくるのです。
仕事を終えたら終わりと考える人と、何か無いかと考える人との差は大きく違ってくるのです。視点、思考のポイントの違いとなり、問題意識ともなり、自己啓発にも繋がっていき、どんどん能力の幅をも広げ、工夫が生まれることにもなるのです。
この事実を知ったら人生を楽しむことがことができます。自分の潜在意識の中にどのような「能力が眠っているかを知りたい」と願うからです。
「一事が万事」作務の精神をしっかりと確立してください。皆さんも「習慣が人を作る」ということはよくよくご存じのはずです。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。   合掌