桜の花を眺めて

おはようございます。

桜の花が満開、華麗で豪華。そのきれいさ美しさに不思議さを感じます。どの花の美しさにも同じように不思議、神秘さがある。それは人間の素晴らしさも同じです。
性命とは何と不思議なもの無限です、「どのような状況の中にあっても自分を失わない可能性が秘められているのが性命です、あらゆる命には対応能力があるのです」、少々の困難にあってもへこたれてはならないのです。
私は人も花と同じように「決まった花を咲かす」ものと思っています。いくつもの違った花をつけるのではなく、「自分の花、心の花」があるのだと。その花が「多くの人に活かされる」ということです。
桜の花も各地にあり、それぞれの「場所」で多くの人を楽しませ、喜びを与えている。人も「自分の花を咲かせ」多くの人に影響を与え、活かされ、「展開」していく。
「人の精神」とはこのようでありましょう。「人は人を見て憧れ」を持ちそれぞれの道を得て、目標を作ります。人は人によって影響を受け、影響を与え個々の人生を確立する。
「年々歳々花相似たり。歳々年々人同じからず」、花は毎年同じ花を咲かせるように見えますが、昨年の花と違うことはよくよく皆さんはご存じです。人も同じです、人は変化(進化)向上していくのです。
その花も直ぐには咲きません、年月を要します。また今年咲いたからといって次の年もというわけではありません、また前の年に咲かなかったからといって今年咲かないかといえばそれも違います。これは私たちにも言えることです。変化、盛衰はあっても「育てる事をやめない」、花が咲くという「信じさせる力」を持っている。
これまで人が進化発展してきた理由に「続けた」ということが上げられます。道理を信じ「体現」しようと続けなければ「花は咲かない」ということは明白だからです。
論理をいくら知識としたとしても実践し、様々な状況の中で「成功、失敗をくり返す中で」こそ「発展があることを」知ったからです。
桜の花が各地で「場所を得て」多くの人を楽しませているように「自分を見失うことがなければ」精神は受けつがれ発展を遂げるのです。
研修に来られた若者達に「一つごとを継続し」実践の中から得た体験で更に原理原則の大切さを体感し何時までも人の精神の中に生きるような人物となって欲しいと願うばかりです。
満開の桜を眺めて一人静かな昨日の日曜日に思うところでした。
今日から12日(木)の「にんげん学」一宮講座と13日(金)の東京講座の準備のためお温習(さら)いをしたいと思っております。一宮地区、東京地区の皆さんお会いすることを楽しみに致しております。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。   合掌