人に強くならない

おはようございます。

「人に対して強くならない」というのが私のモットー、主義でもあります。もしも強くありたいとするなら「自分に対して」です。
何故かといいますと、人に対して強くなりますと、嫌なことを避けてしまう行動をするようになり、又新しい世界が開かれなくなるのではと考えるからです。
今日まで私は「人に逆らえずに多くのことを身につけたから」でもあります。ほとんどのことが苦手(勉強からスポーツに至るまで)だった私は出来ることならばそれら全てを「やりたくなかった」のです。
ですが「ノー、嫌だ」とは一言も言えなかった、しぶしぶそれらを「恥ずかしい結果」ばかりでしたが行った、そのことが後の私を創り上げたのです、人生は面白いものです。
今の人たちの多くは「嫌なことは嫌」と直ぐに言えるほど人に対して強い態度を持っております、ある意味では羨ましくもあります。私は人に対して反論することも出来ないくらいに出来が普段から悪かったため言い訳にもならなかった。
もちろん私にも善悪はありますから悪いことをせよといわれた場合にはノーとは言っておりましたが、弱すぎて悪いことは余り誘われることはなかったのが現実です。
ほとんどの人が勉強にしろ何にしろ必要だと思って始める人は少ないのではと考えます。天才的な人は別ですが、好きで始める人は少ないでしょう、「やらされて好きになる」ということの方が多いのではないでしょうか。
ある程度の自分が確立されるまでの私は人の指示を「受け入れて」素直に行動し、そこから得た結果の喜びは全く「自分自身の喜びだった」ということに気づいたのです。
それは「道理が示す」素晴らしい世界の体現でもあったのです。これは誰しも感じたことはあると思いますが、いうに言えない身体の奥底から感じられる魂からの喜びといっても良いでしょう。
その喜びを知った私はそのことを忘れられなくなったのです、「知ることの喜び、体現することの喜びの楽しさ」をです。
人に対して自分の考えや意見を言うということは大切ですが、それらは「勝たん」としての「感情論」であってはならいとも思っております。意見や考えは自分の行動原理であって、それを己自身が行うことによって「信」というものが得られるのだと思うからです。
何かテーマがあって話し合う場合には先ず人の話を聞く、という姿勢が大事です。何が何でも自分の意見が正しいという思いこみから始めたのでは話にもなりません。
誠意とは先ず自分に対して尽くすことであります、人に対して優位なろう、勝とうとするのではなく、人の意見は意見として大事にして自分に取り入れられることは取り入れ、その上でその時の話し合いのベストな答えを導き出すようにすることが大事なのです。
一見弱いと思われるような人が実はたいてい強いのです、弱い犬は吠えるのです。
「言葉に強い人、人に強い人」はたいていは行動をしない人が多いからです、だからこそ何でもいうのです。そのことを知ることも大事なのです、そうでなければしなくともよい争いをしてしまう愚かを犯すのです。
今夜は「にんげん学」一宮講座、皆さんお友達を誘って率先して「こころ」を学びましょう、お会いすることを楽しみに出かけます。
明晩は東京です、東京の皆さんも待っていてください。待っている方がいなければ寂しいのです。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。      合掌