心を知る

おはようございます。

ほとんどの人が何かしらのために「知識を得ます」、当然のことです。しかし意外と「心を学ぼう」とはしません、不思議なことだと考えております。
論理は誰しも同じように学ぶことが出来ます、しかし「心はそれぞれに違います」このことは百も承知のはずですが、おかしな事に「自分の心を知ろう、人の心とはどのようなものだと知ろうとはしない」のが多数でもあるのです。
孫子に「敵を知り己を知れば百戦危うからず」ともあります。
そこで問題が生じるのです、同じような知識を得たとしても「人気を得る人と得られない人が出る」ということです。これは「人柄による」のです。この「人柄を知る」ことが「心の学び」なのです。
高名な学校を出たにもかかわらず「人心を掌握できない」という悩みを持つ人が多いのです、それは「人としての魅力がない」ともいえます。又人の「気持ちを察しない」ということもあるでしょう。
お釈迦様であれ、孔子様であれほとんどの思想家は「心を大事に」しました。何故でしょう、それは人が人に受け入れられる、受け入れられないということの「大本が心にある」ことを「覚った」からです。
知識を役立てる、立てないのは全て「心を知ったか、知らないかの差、違い」なのです。多くの人は「自分の心は何とでもなる」と安易に考えているから「心を大事にしない」のです。自分の心ほど「何とかならない」ものはないのです。
安心、安定し、未来に希望を失わない人生を過ごすにはこの「自分の心を知る」ことが肝要なのです。そして「心を磨く」ことが大事なのです。知識を得る如くに皆さんは「心を磨くことをしておられますか?」いかがでしょう。
論理はどれほど正しくとも人には「情」というもののあることを忘れてはなりません。自分を大切に思うことは当然であって、同じように私たちは「人を大切に思うことを」どれほどしているでしょうか?。
歴史上でリーダとなった人や、今日でリーダーと目されている人の共通項は一様に「思いやり」です。「情を以て接する」ことを旨としているのです。身近なことでは「親孝行したい」であったり、「家族のため」であったりです。そのために「心をしっかりと保ち」学ぶ、知識を得るという風にです。
闇雲に「知識を得ても」役には立ちません、情を以て、人の苦しみや、辛さを「どうすることで無くし解決することが出来るだろうか」と察し考えて「知識」としていくのです。「人の苦しみを解決する」このことに「気づく心」が大事なのです。
自分のことを評価して欲しい、自分が一番、自分のやっていることは正しい、もちろん正しいでしょう。しかしそれは「我を満足」するための心、気持ちであって、人を理解しよう、人を育てようとする気持ちの少ないことに気づくべきです。
何で私が受け入れられないのだろうか?と悩んでおられる方は「心を学ぶ」ことをお勧め致します。
今夜は「にんげん学」小倉講座です、心に気づくことがなければ「時間さえも作れず」に、ただ「人の目を気にしている」だけで、自分のためにも人様のためにも何の「行動もできない」のです。心を学べば世界の広がることを知りましょう。
そして率先して行動できる自分、又そこから得た体感の中で「学ぶ」事をすべきなのです、せっかくの可能性を自ら蓋をしてしまうような愚かな人生としないためにも。人が何を欲しているのかも気づかないようであっては知識を得られるということも「仇」になるのです。
会場でお会いできることを楽しみにしております。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。   合掌