身近な喜び

おはようございます。

今朝は故郷の実家の寺で目覚めました。お昼から結婚式を執行し若い二人に祝福をします。披露宴には出席せず帰らなければなりませんが、この喜びを喜びたいと思っております。
昨夕は私の都合もあったため家族でちょっとした前夜祭を行いました。とても嬉しい一時。身近な喜び、ささやかな喜びが大きな喜びです。心を騒がせておりますと、特別な価値がなければ喜びではないと考えるようになります、これはとても不幸な人生となるでしょう。
幸せになるということは「身近な喜びを喜びと感じる」ことでもあります。
毎日目覚め新しい日を感謝し、新しい花を愛でる、この事に喜びを感じる、家族みんなで一緒に食事をする、一日が無事であったことを喜ぶ、この平凡であることへの喜びです。
この喜びを大いなる喜びと感じることがなければ不幸ではないでしょうか。今日も様々な人の縁に導かれ今日があることを考えますと、この身近な喜びを喜びとしてきたからと感謝しております。
人様と比較すれば優れた物を持たない私ですが、一つ一つ物を知り、体験できたことを喜んでおります。不足を感じることもありましたが、それは不幸なことだとある時に気づかされました。
人様の優れていることを見れば喜び、自分の出来ないことを見れば喜ぶ、そして出来るようになろうと気づき、この事で自分の心の充実を知ったからです。
多くの人の優れている点を見て、私もああなろう、なりたいと考えてからは為さなければならないことが多くあることの喜びを知ったのです。今日も沢山の喜びに出会えることでしょう。楽しみです、そして喜びです。
無事滞りなく挙式を執り行いたいと考えております、それも喜びです。
身近な喜びを喜びとし感動することがなくては、生涯の目標を得ることはないでありましょう。
人は為すことのない程寂しい人生となることを知らねばなりません。船も目標がなければ大海をさ迷うだけとなり、人生も同じように翻弄される悲しいものだけとなるのです。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。   合掌