ささやかな幸せ

おはようございます。

一日の昨日は五月晴れとはいかず、大型連休にそれこそ水を差したような雨と風、しかしこの季節の雨は冷たさもなく木々や花々に優しく成長を促しているようです、雨でも嬉しくなり、風も若緑の葉が揺れる様は清々しくもあります。
夜中は強い雨が降っていた様子で今は小降りですが、今日もこのような一日なのでしょうか、昨晩は雲の間からきれいな満月が覗きホッとしました。
そんな気持ちでおりますと「人はささやかな物にも幸せを感じる」ことで「希望を失わない」のであろうと一人で微笑んでいる自分がいました。又そんな人は必ずや幸せになるのではないかとも信じるのです。
「幸せの定義はなく」あるはずもないからこそ人は「夢を持てる」のであろうとも思っています、現実に私が今日あるのはお金も地位も何もないときに普段の食べる物や、何かしらご馳走をいただいた時、又ふとしたことに「感じた幸せ、喜びで」あったようにも思うのです。
もしも幸せの定義が〝これだ〟などという物があったとするのなら「夢は見られなかったのでは」とも考えております。
時に喜びを覚えるのは「心が通じ合える」友ではなかろうかとも思います、それも夢が実現する前、互いの夢を話し合うことが出来る、もちろん夢が叶ったとき「共に喜び合える」ことも嬉しいことでありましょう。
又人の素晴らしさを「感じられる」事も幸せで嬉しいことの一つです。共に学び共に励まし合っても「共に立つことは出来ない」のが人生であります。
共に立つことが出来ない故に「喜び祝したい」ともいえます。
故郷に帰ったとき桜の花はまだ残っておりました、田植えの準備も始まり、これから始まるであろう田植え、どこまでも続く田圃をを眺めながら、そこに黄金の波を思う幸せも感じ、育んでくれた故郷を思う幸せにも浸りました。
夜明け前、雲の上にはどこまでも続くであろう紺碧の空を想い、雨と雲を眺めながら数日の慌ただしかったあとの幸せを感じております。
今日は八十八夜です、自然の営みに喜び、ささやかな幸せに感謝しましょう。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。   合掌