考える

おはようございます。

「にんげん学」大阪講座へご参加の皆さんありがとうございました。来月もご参加をお待ち致しております、6月は13日(水)です、しっかりとスケジュールを確認し手帳にお書き下さい、ご自分の学びが優先順位第一位ですよ〜。
私たちは目標もなく、志も持たずに生きるとするならば、現実の喧噪の中に埋没してしまうのではないでしょうか。埋没するというよりも翻弄されるといったほうがよいかもしれません。
この世は感覚的に楽しいことが多く、又苦痛もあるのが現実です。目標や志がなければこの感覚に引きずられ、翻弄されるか、避けようとしてしまうかのいずれかでありましょう。
だからこそ私たちは「考える」べきなのです。流されて生きるのであれば快楽と苦痛しか味わうしかないのです。
苦と楽、この両極に心が囚われた状態が「ノイローゼ」です。
生活の中で自問自答し物事を正しく考えることがなければ「悩む」しかありません。同じ悩むのであれば、「考える」ことに「変換」すべきです、悩むことを=考えるに。
形は似ていますが、内容は「似て非なるもの」で「天地の隔たり」があります。考えることで「苦は楽になり、楽は苦になる」のです。この「真理」を体得し体感することが人生を素晴らしい世界へ「導く」こととなります。
そう、自らの「人生を確立する」ことです、それが「目標であり、志」です。同じ苦であるのなら「率先して歩み人生の安心」を目指すべきなのです。
落語で「与太郎」がゴロゴロと何もせずに寝て暮らしているのを長屋の主が見て〝こら与太郎、いい若い者が寝てばっかりいてどうしようもない奴や、働け〟と意見をします。その意見を聞いた与太郎が〝働いたらどうなるんや〟と聞き返したところ大家は〝楽になるんや〟と答えたところ、与太郎が〝だから今寝てる〟という落ちのある話があります。
人生は楽のためにするのではなく、「心穏やかにあること」が肝要だという話なのです。
苦楽に拘ってしまうからこそ「苦楽が生じる」のであり、苦楽を越えてこそ人生の「安心」があり、故に「志、目標」を立てるということが大事なのです。
楽のため、苦を避けるためでは根本の解決にはならず、更に大きな苦を招く人生となるのです、考えましょう。
明晩は「にんげん学」一宮講座です、中部地区の皆さんお友達を誘ってご参加下さい、お待ち致しております。
明後日は東京です、東京の皆さんもよろしく。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。      合掌