仕切り直し

おはようございます。

今夜は一宮の「にんげん学」講座、皆さん会場でお待ち致しております。
昨日から愛知一宮に来ております、寺から出ていますと走馬燈のように今までにどれほどの人様に助け導いていただいたのだろうとの思いがわきます、枕が変わり、宿が変わり、乗り物に揺られていると思うのです。
その時々に巡り会い出会いがあり助けられ導かれた、全て必然の出会い、偶然のようですが全て自分の成長のために在ったのだということを思い知ります。
随分と助けられることばかり、今もそうです。ありがたいですね、考えますと、如何に心に余裕の無かった自分であったのであろうと反省します。
ありがたい、感謝となどと口にしてはおりますが、昨日書きましたように苦の中にあった時にもっともっと感謝し、ありがとうと心から感じていればもう少し成長があったのではないかと思うのです。
一人、人様の情けで宿を借りて休んでおりますとしみじみと思います。人の心はなんて温かいのだろうと、それに引き換え・・・私は・・・・ですね。
人様の情けは本当に素晴らしい。
物の計算をするときには計算式を通して計算をして答えを出します。物事を考えるときもやはり同じように「道理」に基づき考えることをしなければと最近しみじみと思うのです。
論語読み論語知らず、坊主の不信心とはよくいったものです、当に私そのままです。
物事が上手くいかなかった時には愚痴を言い、人様を非難し、反省もしなかった私なのに、付き合いを続けてくれた、言っていることは正しくとも行いが何も人様のことを考えることのない行動、そのようなことでよい結果など出るはずもないのです。
この事がよく分かるようになりました。
計算をするときには式を通してするように、先人の「語」を通して考え行動することがいかに大切かをしみじみと感じております。今夜も皆様と共に論語の語を学び人様を大切に、そして自分を大切にしたいと思っております。
身近な人たちを先ず大切にすることからもう一度仕切り直しをしようと雨の音を聞きながら思うところです。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。   合掌