継続こそ才能

おはようございます。

昨日は北九州空港発8時20分東京行きに乗り一時間半のフライト無事到着ホッとしました。雲の上に頭を出した富士のお山も拝むことができ、前回の飛行停止を払拭しました。
初めての北九州空港はきれいで静かな雰囲気の良い空港でした。羽田に着いた途端やはり人が多い、京急に乗って浅草へ羽田から50分、何か電車に乗っている方が長く感じました。
それにしてもやはり金龍山浅草寺は参拝客で大にぎわい、電車を降り雷門をくぐり仲見世通りを通り参拝、大混雑の中、汗だく、心華寺の千年分はお賽銭が一日で入るのではないかと感じる(少々どころではないとても羨ましい、御仏に仕える者として浅ましさを反省しつつ)般若心経を一巻唱え、観音様のご真言、皆様の健康をご祈願しました。
お参りが終わり二天門のほうへぶらぶらと歩いていくと、さすが浅草寺、「猿回し」がおりそれをしばらく見てホット一息、大いに笑いました。
一息ついたところで筆心展の会場へ、353名の方々の精進された見事な作品に心を奪われました。18年続けておられる、とても感動を覚えました。
わざわざ鑑賞に出かけたかい以上の感動を得て帰路につきました。新幹線の中でも目に焼き付いている素晴らしい作品を味わいながら、興奮していたのでしょう、いつもですと休むのですがあっという間に京都へ着いてしまいました。
皆さん是非何かをお続け下さい人と比較することなく自分を高めるために、「人と比べない」これが「続けられる秘訣だ」と改めて実感しました。そして人様の何事かを観たら「参考にする」ということが大事です。
「参考にする心」とは上手下手を観るのではなく、「続けている人の心を感じとる」ことです。人をお手本にするということはとても大事です。
上手下手を観る人は続けることが出来ません、何故かと言いますと「あいつよりは上手くなれると競争意識を持つからです」そのような気持ちでやっていますと相手より上手くなれないと「やめる」また相手が自分より下手でもやはりなめているから「やめる」こととなるのです。この意識は何事にも通じ、何事でも「継続できない人の共通」したものなのです。
あの人は「才能がある」などという話をよくしますが、その才能があるという人をよくよく観ますと「継続して上手く」なった人を指しているのです。そう「継続こそ才能」なのです。
上手下手の概念は何の根拠もなく、その「時々の現象」なのです。自分より上手い人もおれば、下手な人も「時には」いるのです。そのようなことで「一喜一憂」しているようでは「人生の確立」などは覚束ません。
今年の展覧会では入賞できなかったけれども翌年はしたなどと言うことは良く聞く話です。これは何を物語っているのでしょう、そう「その時」をいっているのです。その時は上手い人が沢山いたのです、なんら「落ち込むことなど無い」のです。
この事実を錯覚して人生を闇にしてしまうような「愚か」なことをしてはなりません。昨日は改めて「継続の素晴らしさ」を確認できた幸せと喜びを味わった一日でした。
やはりハードなスケジュールでした、寺に帰り着いた途端疲れがドット感じました、しかし爽快感もあります。又「にんげん学」東京講座の方々も足を運んでくれたことにも嬉しさを感じました。
今日から二泊三日誠澄の先達で「西国三十三観音巡り」今回は11番〜27番までの予定、この素晴らしい巡礼も永遠に継続していこうと心新にしております。
皆様も一度巡礼をしたからそれでよしとするのではなく、これからも御仏に仕えるということですので形や行うことが違っても率先してご参加頂きたいと願っております。
これで終わりと決めつけないのが「真の継続」でもあるからです。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。   合掌