孤独の中から

おはようございます。

静かな朝です、やはり一人で迎えると静かなものです。年に数回このようなときがあり、いつも書きますようにこの孤独感が好きです。孤独を味わえば味わうほど「人の素晴らしさを感じる」からです。
率先して孤独になる必要はありませんが、時には大事です。孤独感を嫌って「へつらう」ような人生をしないためにも。
孤独感というのは何も物理的一人と言うことばかりではなく、大勢の仲間といても感じる場合があります。
仲間といるときに感じる孤独感は一人でいるときに「充実していないから」招く又「自分の価値を誤っている」のではと言うことがあります。また「自分を持っていない・やることがない」といってもいいかもしれません、また「人との共鳴がない」ということも上げられます。
このようなことから大きく人生を踏み誤り結果自らを滅ぼしてしまうという最悪の結果を招くこともあるのです。
自分の人生高めようとすることがありますと「人と共鳴する」ものです。それは「功利」からは得られないのです。
共鳴とは「人を理解できるから」できるのではありません、自分が為すべきことをしておりますと「共鳴できる」のです。これが不思議なことなのです、だからこそ「世界を広げていく」こととなるのです。
自分が精進しておればおるほど「未熟さを自覚」しますし、未熟さを感じるが故に「人様の苦が理解できる、共鳴する」こととなるのです、人様の「生き様に感銘する」からです。
事を為しておられる方はなにがしかの「苦労(本人はそう思ってはいないのでしょう)」があったことは間違いないものですし、それを乗り越えたものがあるからこそ現在があるわけです。
このように人様を観ていきますと自然「共感・共鳴」するのです。何も手を取り合ってということばかりが共鳴ではないのです。
本の中からも得られますし、見ず知らずの方がテレビに出ていてそれを見て感じ涙する時もあります。これとても自分が精進していることがあればこその気持ちから出るのではないでしょうか。
先日も東京から帰る新幹線の車窓から眺めた田圃に爽やかに風に揺られる早苗の姿がありました、また麦の黄色く色づいてたわわに実った風景にも出会い、そんな中で毎年毎年丹誠を込めて作っておられるお百姓さんの姿に感動を覚えたものです。
今日も一人静かにこれから護摩を修し、添え護摩木に記された皆さんの心願成就を祈り一日を過ごします。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。   合掌