時間を決める

おはようございます。

今朝も静か・・・小雨がぱらついています、門を開け(開けると新しい何かが始まる予感)、本堂の玄関を開け皆さんがお参りに来られたときに求めていただく線香ローソクを表に出し、お水、お茶、お酒をお供え、不滅の法灯の灯火を確認、常香盤(一日中香煙を上げているためこの名がある)にお香を盛り火をつけ、お参りの方に焼香していただく香炉に炭火をおこし入れ、それからこの書き込みをして庭を掃き済んだ後にお勤めです。
朝課のお勤めを終え一服した後、朝のお祈りで使った護摩壇を清め次のお勤めが出来る準備、それを終えたら日課の勉強と仕事で昼、午後からはまた仕事をして夕方に夕座のお勤め、ここまでがお坊さん。
それが終われば普通の人に戻り般若湯を楽しむといった具合が一日の基本的スケジュールです。毎日一人二役をやっており、私はこれで結構スイッチON、OFFの切り替えは確かなものなのです。
これが何年も変わりません、これから千年の後もこうであろうと思っております。まさか私が千年も生きると言うことではありませんお間違いないように、化けて出るかも知れませんが(今でも時々化け物とは言われております)、
誠澄しっかりしているか〜うらめしや〜な〜んてね、お化けの季節には未だ早いですが、弟子の居ぬ間の悪口です(皆さん陰口はいけませんよ〜、必ず自分に数倍となって返ってきます、何一つ善いことは無し、今頃誠澄は旅館できっとくしゃみをして目覚めているのではないかなぁ〜、そんな敏感ではないか)。
人は陰に回ると自分のことは棚上げして結構人のことは言うものです、ですが人のことを云々する人は決して大成しません、大成していない私が言うのですからまぁ間違いはないでしょう。
日々のスケジュールは大凡決まっています、毎日が変わるようであってはこれまた困るわけですので決まっているでしょう。
この決まり事が「きっちり出来る人と出来ない人」が出てくるのはどうしてでしょうか、考えたことがありますか皆さんは、何故だ?と。
答えは「時間を決めて行う人と、決めていない人の差」が「出来る人、出来ない人を」作るのです。
時間や日にちを決めてかかる人は「仕事が出来て、さらに仕事を作っていく人」になり、一方時間や日にちを決めずにやることだけ分かっている人は「仕事に追われる人になり」、だから「出来ない人、仕事を見落とす人」になるのです。
「時間を決めてやるかやらないか」の違いが大きな差「出来る人、出来ない人」となるのです。
日時を決めずにやっていますとそこに新たな仕事や用件が入りますと更に積み残しが出て、全てに於いて中途半端になるのです、しっかりと日時を切って行いましょう。
まぁ仕事ができるからといってそう誉められたことでもなく威張ることでもありません、伝教大師様は「善行うことなかれ、況や悪においてをや」と申しております、これは善いことや仕事をすることなどは「あたりまえ」であって「悪いことはもっとしてはならない、さぼるな」と言っているのです。
いい言葉ですねこれは自戒せよと言う意味です。?ぐさりとくる言葉?で、ぐうの音も出ません、もっともだとお思いになりませんか、きっちりとすることは当たり前、しないのがいけない。
でも人様とは競争しないことが大事、競争これが一番善くない。
今日もしっかりと時間内に終われるようにして、新たな仕事と自分に出会える時間を作れたらと考えております、そんな上手いことはいくかなぁ〜、まあほのかな夢を見ながら進めます、のんびりと。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。   合掌