応対・対応・進退

おはようございます。

5月も今日で終わり何か今月は早く過ぎたような気がします、ご愛読ありがとうございました。毎日お読み頂き書き込み、メールと感謝申し上げます。今日の一日爽やかに過ごしましょう。
昨日はお昼過ぎまで強い雨でしたがお昼からは雨が上がり誠澄一行は無事「西国三十三観音巡礼」から帰ってきました一安心です。巡礼の旅、全て御仏の計らいにお任せとはいえ人情として心配です。笑顔で帰ってきました。
雨にも遭い大変だったでしょうが、「信じる世界にも困難」なことがあることを体感し、その中に満足感があったのではないでしょうか、次回は今回参加できなかった皆さんもご一緒下さい。
人は誰しも「保身・安全」を考えます、当然です。ではその保身、安全を「何に求め」ているのでしょう、考え方「心の在り方」です。
私たちは「環境に支配」され「人にも左右」され「立場でも左右」されます。色々なことが考えられます。
先日も書きましたが「リスク」の考え方がやはり大事です。全てに「得をする」などということはありませんし「成功」も同じです。しかし意外とこの考え方が現実となると出来ないのが「人の情」でもあります。
論語」里仁篇第十六に「子曰く、君子は義に喩り、小人は利に喩る。」とあります。
意は「孔子言う、君子は万事を処するに当たって、まず以てその事が義すなわち正しい道筋に叶っているかどうかということを敏感に悟るが、小人はまず以てその事が利益になるかならぬかということを敏感に悟りとる。」ということです、私たちが真実保身を考える上で大切な在り方を説いております。
又これは君子と小人との分かれ目が、義に着眼するか、利に着眼するかに在ることを明らかにしたものであり、真実誇りプライドを持って人生を処していくのであればやはり「心を何に依せるか」の大事を見ることではないでしょうか、それが損得を越えた事実に処し道理に基づいた「リスクの考え方」なのです。
誰も順風満帆などはあり得ず、失敗もあります。時に「進退」が大事、いくら「権力を手に入れても」進退は必ずあり、人生は自然、天命である「死」を迎えるまで続くからであります。
若いときの失敗の時にはきっと「次こそは」との思いで誰しもやり直すことでしょう。しかしそのようなときのやり直しは「意地」であって、「義」ではない方が多く、又周囲も「若さ故許しもしてくれ」るのです。
真実道理に基づいてのやり直しではないということも考えるべきであり、又考えることの出来る「心の拠り所」を持つべきなのです、そうでなければたまたま運良く権力を手に入れたとしても慢心がとんでもない結果を招くこととなるのです。
「歴史から学ぶ」とは古来から言われております、今日の世相の中でマスコミを賑わす人の多くを見ておりますと、確かに知識上は出来る人でありますが、真実学ぶことをしていない故の大きな挫折、陥落のように思うのは私一人ではないのではないでしょうか。
「応対・対応の学」、人として「どうあるべきかの、にんげん学」を共に致しましょう、大切な自分の人生、そして多くの若者の人生、又社会の多くの人々のためにも、かけがえのない大事な人生です。明日からの新しい月を真摯に学ぶ月にして下さい。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。   合掌