天に懺悔する

おはようございます。

昨日の夕方4時から名古屋の㈱Iという会社の社員総会の講師として招かれお話をさせていただき名古屋21時56分発の新幹線で京都に帰ってきました、今朝は少々眠い感じがしますが第一日曜日「月例幸福護摩祈願祭」がありますシャキッとしなければいけません、午前10時からです是非お参り下さい。
60名ほどの素晴らしい会社でした。総会が終わり美味しい食事と般若湯をしっかりいただいて帰ってきたという次第です。
皆さんは天に「懺悔する」ということをしたことがありますか?如何でしょう。
とても大切なことだと思っております、私は修行中に師匠に良く言われました、「天が見ておられる・仏様が見ている」と、子供の頃は「お天道様が見ている」と両親に教えられました。
過ちを犯し人様へ詫びる事は当たり前のことです。しかし人様へ謝ることで「全てを許された」と考えてはいけません、許してくれたのは「未来があるから許してくれた」のであって、人情、思いやりから許されたことを真摯に受け止めなければなりません。
しかしどうでしょう私たちは、やはり同じ過ちを犯してしまうのです、それは「許された」と思い「一過性の」ものとしてしまっているのです。
そこで師匠は私に許しを請うのではなく「天に仏様に約束をせよ」と戒めてくれたのです。人に許されてしまうから許されたような「気持ちになる」のだ、過ちを犯すことは誰しもあることだが、それを許されたと思ってしまわないためにも「答えの返ってこない、言葉のない天に誓え」と。
もしも「自分にウソをつくようでは誰もお前を相手にしないであろうと」教えられたのです。
「天網恢々疎にして漏らさず」人の世界でいくら許されても「天は見てござる」のです。私たちは過ちを犯すからこそ「天に懺悔すべき」なのです。人に許され、そして人を甘く見て結果自分を侮るようになり、せっかくの人生を自らの手で犯してしまうことにならないように。
天は何の意見も罰も与えてませんが、その言葉のない世界を侮り生活をしておりますと、羞恥心を無くし、自尊心もなくし人の世界でとんでもないことをしでかしてしまうこととなるのです、そして天罰を被り自ら墓穴を掘るという結果になるのです。
今日も皆さんと共に「懺悔し祈り」、今の季節の風のような爽やかで快適な人生を歩みたいものです、社会に爽やかな風を送りましょう。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。      合掌