連れがある楽しさ

おはようございます。

今夜は「にんげん学」一宮講座、中部地区の皆さん会場でお会い致しましょう、楽しみに出かけます。
普段は一人で出かけるのですが今日は連れがあります。明日の「チャリティゴルフコンペ」に参加下さるご近所のKさんとご一緒するのです。勉強会にも参加してくださる、嬉しいですね。
「連れがある」嬉しいことです、しかしいつもあるとは限りません、でもやはりあれば嬉しいのが人情、ですから私は人様からお誘いを受けますと出来る限り都合をつけてご一緒するようにしております。
私自身が一番連れがなければ寂しいことを知っているからでもあります。「一を見れば法を観る、二を観れば情を観る」という語があります。これは「道理に一心に歩む」ことをすれば「道を得」確かな一つの道を得る。二を観るのは、歩みはすれど「人からの称賛や結果を欲しがる」ばかりだと情にすがるようになり、失敗成功の「二つに心が常に揺れている」ということを言っている言葉です。
道理の指し示している「一つ」事をひたすら信じ歩む者は「志を変えず」に歩むためついには成功の道を手に入れるのですが、一方は道を信じず「何時になったら自分のことを」と人様の「情に成功を求め」る心が強く、「失敗成功という二元的」な心で歩んでいるために自らをダメにしてしまうということでもあります。
共に在るということは楽しいことです。故に共にあることにばかり「気を」惑わされて「為すべき事を為さない」ということであってはなりません。よく「何々会」という会に入り「ぶつぶつ」と言っておられる方があります。どんなぶつぶつかと言いますと、「仕事をもらえない、良い話がない」と言った不平不満です。
仲間意識というのはそのようなものではないのです。「仲間意識は仲間意識であって」意識が大切なのです。「何とか会」という会は、何か自分に美味しい話がある、得られるなどという考えが間違っているのです。
「考え方、在り方を学ぶ」会であって、物や仕事をもらう会ではないのです。「心を学ぶ会」なのです。
感覚的な楽しさで何か得られるなどという短絡的なことであってはなりません。私は共にあることが楽しいのです、それ以上のものを得ようとは考えたことはありません、ですが、楽しんでおりますとやはり「学び」はあるのです。
何を学ぶのでしょうか、そう共にある人の行動、思考が「心を打つ」のです。これは何物にも代え難いものなのです。
小僧時代「観よ」と強く教えられました、観ることそして親しむことで「門前の小僧習わぬ経を読む」で、素晴らしい人と共にあることで「薫習(くんじゅう)」がなるのです。
薫習とは「坊主は抹香臭い」「弄花香満依(花弄ずれば香り衣に満つ)」の言葉が示すが如く、素晴らしい人と共にあることで何事も自然身に付いてしまう、そう「身に付いてしまう」のです、これが「連れ」の在る事の最高の素晴らしさなのです。
尊敬の念のないままに徒に人と在っても薫習はないのです、それは「真から親しむ、楽しむ」ことをしておらず、功利的な付き合いだからです、ここからは何の学ぶこともなく影響もされないのです。
「謦咳に親しむ、謦咳に触れる」ということで自然人は素晴らしい世界に導かれるのです。だからこそ共にあることが嬉しいのです。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。   合掌